雑記。製作の話し。

●今描いているのは、画布を木わくに張らずに床に広げて油彩で描く、というヤツなのだけど、これを始めたのはロールキャンバスから必要な部分を切った、残りの細長ーい余りが巻かれたまま作業部屋のすみっこに転がっていて、それを使いたくなったためだ。こういう画布をどう扱うか、とか考える事もなく、くるっと床に広げて描き始めたら面白くなってしまった。数本のこっていた「端切れ」は使い切った。で、改めて新しいロールキャンバスを細長く切って切れ端を作って描いている。


●このように描くと、まず木わくに張った画布のテンションというものが利用できない。強い摩擦を発生させるもの、具体的には去年使っていた銅版用ゴムべらとか金ブラシとかが上手く使えない。上手く使わない、というオプションもあるが、今の所筆と指で、ゆっくり描くことにしている。また、極端に細長いので、全体を見渡しながら描くことができない。常に画布の一部だけ、視界に入る範囲だけの中で描きつづけ、それがなんとなく横にずれながら製作が進行してゆく。こうなると問題になるのが「完成」はいつなのか、という事なのだけど、実はあまり悩まず「終わりにしよう」と思ったところで止めている。


●ミックスジャムで一緒に展示した野沢さんに「視覚的」と評されたということもあり、現状ではあまり自分の作品を見ないで描いている。トゥオンブリが部屋を真っ暗にして、一切画面を見ないで描いていた時期があったというのはART TRACEの「絵画は二度死ぬ、あるいは死なない」を読んで知ったのだけれども、もしかしたらそういう展開になることもあるのかもしれない。たぶん、作品、という意識をちょっと外して描いているのが今の状態で、こうなってくるともう、ミルフィーユみたいに無闇に「絵の具のついた画布」が部屋に堆積していきそうになる。


●もう一つ問題なのが色彩で、僕はとにかく色が恐い。ここ2年くらい、おずおずと色、という事を考えているのだけれど、単色、あるいは同系色ならばともかく、複数の色を扱うのが恐い。なんでみんなあんなに大胆に色を使えるのか全くわからない。今僕が描いている絵は、そんな中でぎりぎり複数の色、ということを大きな主題にしていて、それを考えると、やっぱり部屋を真っ暗にはできないなと思う。あと、色を問題にした時、多分だれもが最初にするのは黒の排除だと思うのだが、僕も思いきりベタに、今は黒を使っていない。でも「黒の色彩」というものがある。銅版画なんかやっていたせいもあるかもしれないが、これを描くには「黒だけで描く」という、これまた非常にビミョーな事をしなければならない。


●指を使って描くのは、アクリルの時にさんざんやっていたから先祖帰りみたいな感じだけど、「筆だけ」で描くのは、たぶん学生の時以来で、そう考えるとこれも恐い。去年絵の具を油に切り替えたとき、久しぶりに「筆で油絵の具を扱う」というのをやってみたのだが、そのあまりの難しさに呆然とした。長過ぎるブランクが、技術とか以前に筋肉を奪っていたと言う感じで、まったく使えなかった。苦肉の作で持ち出されたのが銅版用ゴムべらだの金ブラシだのだったわけだが、そんな中にどさくさまぎれみたいに筆も諦めず使いつづけていた。おかげで「今度は筆だけで」と思う勇気も出てきたのだが、いざ日常的に使ってみると、つくづくこの絵筆というものが操作的にできているのだなぁ、と気付く。やや奇形的な道具だと思う。


●絵を描くというのは、描くこと、見ること、考えることが分離せず総体として埋め込まれている思考の形だと思うのだけど、僕は今、描くという事の一部としての「描くこと」の比重を大きくしていて、こういう季節というのは、ぶっちゃけ良くも悪くも楽しくなっちゃうところがある。反省というものがなくなっていく。だからこそ、というわけでもないのだけど、画布の前にいない時はより一層「見る」「考える」ということの輪郭がくっきりとしてくる気がする。