東京都庁舎と黒い「影」について。NHK丹下健三の特集番組中で、見えたもの、抜けたもの、映ってしまったものを考えた。6/4の「新日曜美術館」での話しだ。


簡単に番組の概要を書くと、代々木体育館を簡単に紹介した後丹下の青年時代からはじまり、大東亜記念造営計画で名声を得、戦後の広島平和記念公園のプロジェクトから東京計画、東京オリンピック大阪万博と戦後日本の建築をリードしつつ海外、主にアジアなどの新興国の都市建設プランに手を広げ、最後は新東京都庁舎に至るという、まぁ、なんというかすごい人生を“象徴性=時代の顔”というコンセプトで概観するもので、門外漢にも分かりやすい、よくできた内容だったと思う。ことに丹下建築の骨格を、モダニズムというよりはモニュメンタルな部分に置いていたのはとても明解で、これを押さえることで国粋主義的な大東亜記念造営計画から広島平和記念公園、代々木体育館、新東京都庁舎という、コンテキストを見ればかなり蛇行している仕事の連なりが、一貫して見えて来るというのは新鮮だった。


素人の思い付きで変なことを書くが、丹下が最もモダニズム的でありえたのは、実はメタボリズムに接近していた時ではないのだろうか。勿論東京計画にも感じられるが、いずれにせよけして著明ではない静岡新聞本社ビルを紹介していたのも、この番組の良心的なところだ。丹下を象徴性という「軸線」で見て行けば、この仕事はやや無駄な部分なのだと思うが、しかしやはり丹下のモダニストとしての側面は厳然としてあるわけで、個人的には山梨文化会館なども押さえてほしかった。が、45分という枠では贅沢というものだろう。森川嘉一郎に取材して東京計画と「AKIRA」の関係などに触れてもらえたら完璧だったろうけれども、それは更に無理か(参考:http://homepage1.nifty.com/straylight/main/yoyogi.html)。黒川紀章菊竹清訓らが当時の事を饒舌に話していたのも故ないことではなく、ここまでがこの番組で良く見えてきたものと言える気がする。


抜け落ちていたと感じるのは二人の人物で、浅田孝と磯崎新だ。安藤忠雄などは完全に蛇足なので、例え短くとも、この二人には触れるべきだったのではないか。丹下の訃報に接して、その前半生の業績をたたえながら、後半の仕事をものの見事に批判したという磯崎などは、もしかしたら取材を申し入れた上で断られたのかと邪推してしまうが、少なくとも大阪の万博の広場が写った場面では、もう少し磯崎に触れてもよかったと思う。番組の終盤、新都庁舎に批判の声があることをある程度きちんと示した所で、案内役の藤森照信が非常に微妙な言い回しで磯崎の名前を出したのが目立つくらいで、あとはだいたいスルーだった。丹下の業績の大きな部分は、とにかく人材の輩出にあったのだから、そういう側面からも磯崎に触れてもよかった筈だ*1。「人材の輩出力」を最も受け継いでいるのが磯崎新なわけで、安藤忠雄を出すくらいならおべんちゃらを喋らせていないで(丹下による)人の育成について、安藤本人はどう考えているのかを突っ込むべきだろう。


大阪万博の場面、ということなら、名前を一言でも発するべきだったのは浅田孝の方かもしれない。大阪万博のごく初期のプランニングにおいて、浅田孝が果たした役割は椹木野衣の「戦争と万博」に詳しい。というより、僕はここで書かれたことくらいしか浅田孝について知らないのだけれども、多少調べてみれば、丹下健三にとっての浅田の存在の大きさは相応に想像がつく。これも推測だけれども、丹下がモダニストとしての仕事をした場面がメタボリズムにおいてだったというなら、丹下をそこに導いたのは、もしかしたら浅田だったのではないか。この固有名詞が世間的に隠れているのは浅田孝の資質なのだろうし、避ける必要はないのだろうから、簡単な形であっても紹介して欲しかったと思う。浅田の映像などはどこにもないのだろうか?


この番組で「映ってしまったもの」に関しては、どこまで、どのように書いていいのか迷う。ま、謎めかして言ってもしかたがない。終盤、新都庁舎の意図についての丹下の言葉が、都庁前の広場を歩く若い女性の明るい映像に被せてナレーションされるシークエンスがあるのだが、その女性を追う映像の背景に、ピントが外れてゆく形で不意に影が映る。広場のベンチに座っている人の姿だ。すかっと言うなら僕には一瞬ホームレスの人の姿に見えた。実際はかばんを持った、おそらく休憩中の男性だろうと思う。ごく短い瞬間だから根拠はない。だが、その輪郭はぐったりとして「うなだれている」すなわち「疲労している」姿勢をとった人であることは確かだ。この「影」の主が、たまたまそのように見えただけなのかどうかも本当は分からないのだけれども、少なくとも明るく輝く新都庁舎と、そこを幸福そうに歩く女性の間に「影」が映りこんでいて、それが何か重いものに見えたのは確かだと言える。


その正体がなんであれ、このように撮影された映像が丹下の新都庁舎に対する意図、というより批判に対する弁明のように聞こえる言葉を示す場面で使われているというのは非常に意味深く見えてしまう。あの人物はどんな見方をしてもポジティブな感覚を与えない。ごく普通に考えて、このカットは編集で排除されるのが普通だろう。それが使われているというならば、ここには制作者側のかなり慎重かつ辛らつなメッセージが込められていると考えることが可能ではないか。これが見過ごされた、たんなる“配慮の不足”であっても事態は変わらない。映像だろうと建築だろうと絵画だろうと、総べての表現に関して言えるが、制作者が作品を規定するのではない。作品が制作者を規定するのだ。


あの番組では、戦中の国粋的プランニングから平和記念公園を挟んで日本という国の「顔」を作り続けてきた丹下が、晩年受けた批判、つまり新都庁舎の、例えばコンペにおける元鈴木都知事との深い関係なども含めた建築総体への批判に、「善き意味」が(実は)あった、という構成になっていた。だが、その、最も肝心な「善き意味」を語る場面で、ネガティブなイメージを喚起する暗い「疲労」が一瞬横切る、というのは、ほとんど番組の意図をひっくり返してしまう。録画をしておいて良かった、と思う番組は少ないが、この回の日曜美術館はそういった貴重なテレビ番組の一つだったと思う。

*1:伊東豊雄の一見あまり意味のないコメントは、もしかしてこのような通説への皮肉だったのだろうか?