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直島行きを計画している。ベネッセアートサイトの美術作品を見る事が目的で、合わせて少し足を伸ばして丸亀の猪熊弦一郎美術館も見る予定でいる。
●ベネッセアートサイト
直島に関してはなにかと安藤忠雄の建築が取りざたされるが、僕が一番楽しみにしているのはモネとジェームズ・タレルの作品だ。モネの睡蓮の展示空間に関してはオランジュリーより良いと言う話しまで聞こえてきて期待してしまう(僕はオランジュリーを知らないから、比較などできないのだが)。しばらく前まで他所から借りたモネも同時に展示されていたらしく、できればこれを見たかったのだが、かなわなかった。ジェームズ・タレルは、その美術的評価うんぬんという以前に趣味的にとても好きな作家で、以前埼玉県立近代美術館で行われた個展が印象深かった。また越後妻有トリエンナーレでの「光の館」も楽しくて(あのラブホテルみたいなお風呂はちょっとどうかと思ったけど)、この直島の仕事も完成度が高そうだ。
もちろん安藤忠雄の仕事も注目ポイントではある。僕は以前このblogに「安藤忠雄は本質的に小(型)建築の人ではないか」と書いた。これは今も変わってない感想で、改めて言えばサントリーミュージアム天保山はやっぱり酷かったし、COLLEZIONEなどもピンとこなかった。表参道ヒルズに関しては建物以前にあの計画自体が問題で、それは旧同潤会アパートがどうこう、という話だけでは無い。時計作家の内田琢也氏によれば、あの周辺は様々なクラフト作家のデビューの場で、いわばそのような「界隈」が表参道ヒルズによって破壊されたのが事の本質だ(だから表参道ヒルズに旧同潤会アパートの雰囲気を残したとかいうのは大した意味がない)。こういうのはデベロッパーの責任で建築家に問うものではない、と言うことはできない。安藤忠雄という名前によって、表参道ヒルズは単なる商業施設ではない、なにか文化的なものとして捉えられている。そのことによって「界隈」、つまり「文化的」どころではない「文化そのもの」の排除が覆い隠されている。
とにかく安藤忠雄という人は、そんなプランに多人数を抱えるアトリエで参画する「世界的建築家」としてふるまうよりは、小さな規模でひっそりと住宅や小型の建築をコツコツと作っている方がいいんじゃないかと思う。しかし、一方で自分に合うものばかりを再生産するのではなく、それを超えるようなものにトライし続ける姿勢というのはまた、それなりに立派な事だとも思う。作品のサイズというのはその作家の資質が明瞭になりやすい要素で、それは絵画や建築といったジャンルによらないだろう。誰に言われるまでもなく、安藤忠雄が小型建築のセンスしか持っていないことは、恐らく本人が一番分かっている筈だ。その上で尚、自らのスケールを超えるものにトライして、それをもし成功させたとすれば、それは一人の作家として尊敬されるべきだろう。直島にはその予感があって、ことに単なるオブジェクトレベルではなく、一種の「直島文化圏/経済圏」のようなもののジェネレイトまで射程に納められているなら凄い(だからといって表参道「界隈」の破壊とその隠蔽に加担したこととは取り引きできないが)。
猪熊弦一郎美術館に関しては、瀬戸内海まで足を伸ばす機会もそうはないだろうから、今回の日程に組み込むことにした。猪熊弦一郎というと、僕はずいぶん昔に新宿の某デパート美術館(三越だっただろうか)で開催された展覧会を思い出す。まとめて展観するのはそれ以来になる。この時の印象は、まぁよく時代のムーブメントを的確にサーフィンする画家だというもので、戦前にフランスに渡ってマチスに指導を受け、帰国後はその影響に基づいた絵を描くのだが、戦後ニューヨークに行ってからは今度はマーク・ロスコやジャスパー・ジョーンズの影響を受け、晩年はまたスタイルを変えてといった具合だった。こういう、時流を上手く読み、しかもその時々で適度にそれぞれの描画スタイルを収得していくという「優秀」な画家というのが日本の近代美術史には一種の系譜としてある。というより、基本的に輸入が仕事だった日本の近代絵画では、黒田清輝以降これが主流でもおかしくないのだが、なぜか大正以降、こういう「賢い」作家よりは、微妙にトッポい人が画壇で権力を握る形が定着している。というわけで、猪熊弦一郎も漠然と軽く見られているきらいがある。
その「軽さ」はスタイルの変遷などよりも、例えばいまだに使われている三越の包装紙のデザインを手掛けていたりという所に表れているように思う。要するに器用だという事だけでなく、とことんグラフィカルなのだ。画家なんだからグラフィカルで普通だ、というのは誤解なのであって、例えば「触覚的な画家」「彫刻的な画家」というのは近代絵画ではかなりいる。意外なくらい複数の諸知覚の競合というのが裏テーマとしては面白い地点をなしていて、すこしズレるがピカソでは「盲目」が重要なモチーフとして現れたりする。マチスにしたって、バルコニーの情景を黒く塗り潰した「コリウールのフランス窓」なんて作品で抽象表現主義に繋がったりするのだから、画家=グラフィカル、という構図はなりたたない。猪熊弦一郎が身軽にスタイルを変化させえたのは、そういった複雑な要素を、表面=視覚的なところでだけすくいあげていたからなんじゃないかという気がする。
こんな書き方をしたら、わざわざ遠方まで見に行く価値あるの?と思われそうだけど、それでも僕はこの人の、晩年の変なマンガ的顔が画面をひたすら分割していくような作品が妙に心に残っていて、今回はこの辺をもう一度確認しに行きたいな、と思ったのだ。改めてみたら失望するだけかもしれないけど、なにしろ猪熊弦一郎なんて、なまじ地方にパーソナルミュージアムがある分東京では簡単に見られる、という状況にないので、それなりに貴重な筈だ。