あきらめが悪いが、直島アートサイトと奈義町現代美術館についてもう少し書く。この二つの「サイト・スペシフィック」というものを基盤にした美術館には、何か質的な差がある予感がする。


直島にある作品はベネッセのアートコレクションとアーティストに発注した作品で、言ってみれば奈義町の3つの作品より、物理的にはよほど可搬性に優れているものが数としては多い(モネとか)。しかし、この美術館?には自然生成的な成長というのがある。動かせない、じゃなくてここで育った、というのがポイントだろう。三菱マテリアルの工場で荒れてて、しかもリゾート開発に失敗していた直島町長とベネッセの福武社長が“意気投合”して始まった直島のアート町起こしが、だんだん拡大して最終的に「育っていった」のが直島らしい(参考:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%8D%E3%83%83%E3%82%BB%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%88%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%88%E7%9B%B4%E5%B3%B6)。ここで育った=この土地があったから生まれた、というのは、例え運べる作品であっても強くその場所に根ざす。


どうやらかなり早い段階(1980年代後半?)で美術館の話は立ち上がっていて、この頃既にかなり大きくしようという腹づもりはあったらしい。福武二代目社長にはどうやら「父を超える」的考えはあったのかもしれないと想像される(参考:http://dw.diamond.ne.jp/yukoku_hodan/200408/index.html)。ともかくけして全面的に「成りゆき」ではないのだろう。むしろある程度戦略的な(リゾート面を見越した)開発といった方が近い。ともかく、経済的な意味でも民間企業の資本がある程度回収を視野にいれて順次投下された=あからさまな失敗が見えたら3期目以降の工事は大幅に変化したのではないかと推測すると、なんというか、自由経済的だ。


無論自由経済は場所など頓着しないが、そこが意外と微妙になってしまうのが日本の自由経済ではある。企業でありながら、トップの個人的関係で始まった文化的リゾート開発は、簡単に「儲からないからココではやらない」とはならなかっただろう。ベネッセ・アートサイトの成立事情は僕は知らないから、漠然と推測するしかないのだが、このプロジェクトには、儲けを度外視した文化事業と、施設の収益や直島経済を考慮した「リゾート事業」が渾然一体とある感覚がある*1。もしかして、まったく利益は考えていなくて、純然たるメセナだったのだろうか?そうではないだろう。少なくとも地元は経済効果を期待していた筈だ。


そういう意味ではロザリンド・クラウス「彫刻とポスト・モダン-展開された場における彫刻」で示された『ポストモダンの諸相』としてのサイト・スペシフィック、というものとは微妙にずれる。そもそもここで示されたサイト・スペシフィックという概念は、いわゆる近代美術=商品化した美術への対抗としての側面がある筈で、リゾートとしての在り方もするベネッセ・アートサイトというのは、そこからして不思議な存在だ。もちろん、個別の作品としてはクラウスの射程距離内のものが多いだろうけど、ベネッセ・アートサイト全体は、どこか日本的「自然」に根ざしていそうな予感がある。この「自然」は、本居宣長的「自然」であって、じねん、と読むべきなんだろう(by柄谷行人)。漢心=意志的構築とは違うもの、「なりゆきで始まったからこそ、この場所からは絶対に動かせない」*2。そういう意味でも、日本的「風景」に溶け込んでいるんじゃないかと想像する。


奈義町現代美術館は公共事業で、役人主導の町起こしと言っていいだろう。これは明らかに官僚機構によって進められている。どっちかというと社会主義文化政策なわけで、よくも悪くも民間的投資回収という視点はゼロだ。故に、あんな観念のお化け屋敷みたいなのが可能なわけだ。タトゥーリンの第3インターナショナル記念塔とかに近い。奈義町現代美術館でのサイト・スペシフィックというのは本当に西欧的概念であって「土着性」みたいなものはまったく感じない、徹底して抽象的/観念的な美術館だと思う。いわば「自然な心性」あるいは「自然な感情」を切り離した上での「サイト・スペシフィックという(芸術)言説」が組み上げられているように感じる。


南北の軸線に合わせて1/8傾けられた、荒川修作+マドリンギンズの「太陽」中秋の名月の位置を指し示す岡崎和郎の「月」、那岐山を指す宮脇愛子の「大地」は、確かに“この場所”を示すが、しかし南北も月も、考えてみればどこでもあるものであり、かろうじて奈義に特徴的な那岐山は、特権的な存在とは言い難い。言ってみれば、磯崎新の「サイト・スペシフィック」は、「ここでなくてもいい、移動可能なサイトスペシフィック」という、直島とは別の意味で「不思議」な物になっている。それはコンセプトとして完結していて、出来上がった段階で変化しない。訪れた人にも地域住民にも触れられない、人工ダイヤみたいな硬質さをもったコンセプト・カプセルだ。


この奈義での「サイト・スペシフィック」というコンセプトは、コンセプトであるが故に移動=展開が可能で、要請さえあれば奈義町現代美術館と同じ概念構造をもった美術館はどこにでも建てられる。直島はそうではない。奈義町現代美術館は、いわば普遍的モデルと言える。それこそ行ってもいないのにこんなことを言うのもなんだけど、絶対周囲の山間の町の風景に溶け込んでいないだろう。論理的にも、経済的にも、視覚的にも、確実に「宙に浮いている」筈だ。こういうのは、やっぱり僕を含めた多くの人々に回避されるだろうな、と思う。皮膚感覚としてものすごく“不自然”だと思う。不自然、というよりは反自然というべきなのかもしれない。


磯崎新の「手法が」を読み返していて思うのは、この人はどこまで本気で「第三世代美術館」とか言っていたのか分からないな、という事なのだが(文章があまりに上手くまとまりすぎている)、でもどうしてもこの人は形式的になってしまうのだろうな、とも感じる。つくづく反人間的という感覚がある。昔見に行ったアイゼンマンの布谷ビルもそうだけど、東京(あそこは東京じゃないけれど)であってもこういうのは最終的に排除されるんだな、と思う。だから、奈義町現代美術館が都心にあっても興業的に成功したとは言えない。ここはもう、徹底して「誰も来ない美術館」というのが勲章になるようなあり方しかないかもしれない*3

*1:ベネッセ・アートサイトは、果たして単独で黒字を出しているんだろうか

*2:吉本隆明言うところの関係の絶対性、というやつかもしれない

*3:モダニズムのハード・コア」誌に出て来た、ドナルド・ジャッドの“誰も来ない”美術館に近いのかもしれない