少し前だが、出光美術館風神雷神図屏風展を見た。国宝の俵屋宗達風神雷神図と並べて、それを模写した尾形光琳の作品、さらに光琳を写した酒井抱一の作品を一挙に見せるという珍しい企画で、60年ぶりの3点同時公開だそうだ。出光美術館というのは、皇居を望む東京のドまん中にあるオフィスビルのフロアを利用したもので、いかにも昭和のインターナショナル・スタイルの、やや懐かしい感じのする空間なのだが、普段けして賑わっている美術館ではないのに流石に混雑していた。


僕が目を見張ったのは「オリジナル」で最も格付けの高い宗達の作品ではなく、重文とされている光琳の、その徹底したコピーっぷりだった。普通模写をすれば線の勢いなどはどうしても鈍くなるし、勢いを重視すればラインを正確にトレースすることはできなくなるものだが、どうやら宗達の作品の上に紙を置いて写し取ったらしい光琳の仕事は、まるでデジタル複写したみたいに見事な模作となっていた。なまじ保存状態が良いから工芸的なフラットさが全面に出ているともいえるかもしれない。が、古びた宗達が、その古びそのものによってややもすると「深く」見えてしまうことよりも、僕にとってインパクトがあったのがこの隙のない模作で、このような完璧さには、単に先人を学ぶというだけではない、もっと切迫した衝動が感じられる。


会場で分かりやすく図示されていたように、光琳宗達風神雷神図には2神の所作や指先の形状までほとんど差がない。むろん子細に見れば目や構図に僅かな差があり、ここまで同化してしまえば、このような小さな差が注目されるのはしかたがないことかもしれない。事実、本当に「同じ」にしようと思えば可能だっただろう状況と光琳の技術を思えば、その差に何かしらの意図を読むことも有為だろうとは思う。しかし、絵を描く立場からみれば、あそこまで正確無比に「写す」という作業に徹している光琳には、宗達風神雷神図を物理的にも心理的にも文字通り「所有したい」という願望、ほとんど偽造画家のような情熱があったとしか思えない。


光琳宗達風神雷神図屏風を、単に図柄だけ真似するのではなく、その「描く身体の動き」、あるいはそのような身体を制御する精神の動きそれ自体までトレースしているように思える。いわばオリジナルの風神雷神図を描いた時の宗達に乗り移る、あるいは「その時」の宗達を召還して自らを乗っ取らせて“描かせている”かのようで、こんな言い方をするとなにかオカルティックな印象をもたれるかもしれないが、当然そこには顔料の把握から描く順序から画材や筆の吟味にいたるまで、思わず科学的といいたくなるような緻密な分析作業がある。だいたい、先行作品の上に紙を置いて作業するなんていうのは、下手をすれば元の絵を毀損する可能性だって大きいのだから、通りいっぺんのリスペクトでやれる事では無い。ぶっちゃけ、宗達風神雷神図を壊してもかまわない、くらいの覚悟がないと、ここまでの模写というのはやれるものではない。


テクニカルな部分では、雲の表現にたらしこみの技法が見られるのだが、むろん金箔地に絵の具を滲ませるのは難しい。抱一の模作の雲を見れば分かるが、箔が溶いた絵の具をはじいてしまい、上手く染込ませることができない。ところが光琳の、そして宗達たらしこみは「自然」に見える。ここで思い起こされるのが、MOA美術館の光琳の「紅白梅図屏風」の金地が、箔に似せた金泥だったという最近の研究結果だ。


紅白梅図屏風の金地が、箔に見えるように金泥で描いた、一種のトリックアートだったことが成分調査で明らかになって一部で大騒ぎになったのはたしか去年の事だったと思うが、ここでは梅の木の幹をたらしこみで表現するためにこのような「だまし」が行われていた。風神雷神図屏風の雲は紅白梅図屏風の梅ほどに強くたらしこみが行われているわけではないし、既に専門家が精査しているのかもしれないから素人考えで断定的な事は言えないが、風神雷神図でも同じような技法が行われている可能性はゼロなのだろうか。もしこの技法が光琳の独創ではなく宗達にまで遡るのだとしたら、それなりにセンセーショナルな話題にはなるかもしれないと思える。


あたりまえだが泥で描かれたものを、箔を使用したものより一段「低い」かのように扱うのはあまりに幼稚な姿勢なのであって、紅白梅図屏風の美術的な価値になんの揺らぎもないし、風神雷神図屏風も(泥/箔どちらであっても)そのバリューは材料などに由来しないことは確認しておきたい。さらに作品に直接関係ない話しだが、カタログの最後の解説で、内藤正人という人が「RIMPA展にエールを送りたい」と、一応配慮しながら、その後でさんざん「まっとうな立場」を強調していたのは、ごく当然のことだと思う。