エッシャーは絵を描くのが下手だ。既に終了したBunkamuraでのエッシャー展を見て思った。これは、エッシャーが画家ではなく、徹底して版画家であることに起因している。エッシャーは原則的にデッサンではなく「作図」の人で、一定の規則に基づいて画面内に幾何的な線を積み上げていくと、そこに結果的に別種の世界が構築されてしまう、といった事を精緻につきつめている。この自己反復作業(ホフスタッターなら自己言及と言うだろう)が、秩序だった像を増幅していきながら、というかまさにそれ自体によってある地点で完結=閉鎖=自死にいたっていく。その有り様がゲーデル問題などと重なるために数学的興味をもたれるのだろう。だが、エッシャー自身は明らかに(数学者でも画家でもなく)版画家なのであり、数学的な要素というのはむしろ版画の制作というものに内在しているのだ。


エッシャーの興味は、版画家としての訓練を積みはじめた初期から、「単純な規則にのっとった痕跡を画面に展開していくと“絵を描かなくても”絵=世界が構築される」という驚きに根ざしている。そしてデッサンではない「作業」が正確に組み上げていった世界の似姿が、しかし現実の世界とは(作業が正確であるが故に)決定的にずれてしまう、そのズレを隠蔽せずにむしろ積極的に押し広げ増幅することで、特異な知覚上の効果を上げている。この作家が絵を描く事が下手なのは、球面鏡に写った自画像などを見れば一目でわかる。そこに描かれた人物像は基本的な描く力が欠如していてはっきりとナイーブだ。


鏡は何も「デッサン」しなくても自動的に世界を写し増幅させており、この自動性がエッシャーの興味を引いたにちがいないが、しかし、その鏡を版画として表現するにはどうしたって“デッサン”をせざるをえず、ましてや「鏡に写る自分が見る鏡」といった自動反復の状態は、エッシャーが最も苦手とした「人物像」を描くことを回避して見せることはできない。鏡を扱った作品はエッシャーの最大の弱点を露呈させる。ほとんど失敗作に近いのは3つの違う材料でできた球体を並べた作品で、ここではテクスチャーの描き分けが上手くいっておらず球面鏡の自画像も稚拙なままで、あまり効果を上げていない(例えばスルバランの「ボデゴン」などと比べてみれば、二人の画家としての底力の差は明瞭になるだろう)。


もちろんこの事はエッシャーの魅力を減ずることではない。エッシャーが面白いのは、言ってみれば描く事の不可能性を限界まで押し進めてその不可能性を反転させ、まったく新たなビジョンを開示するところにあるのであって、そのような作図のトリックの臨界というものを、版画というメディウムの臨界において見ている。初期エッシャーが学んだのはリノカットだが、ここでは画面は黒と白のたった2階調しか使用できない。切り詰めて言えばただ黒と白の配置だけで「絵」をなりたたしているのがリノカットであり、後に使用される木版画だ。このトーンや色彩を用いた「描き」がありえず、ひたすら白黒の配置だけで世界を記述し、しかも一度完成した版からは原理的にはいくらでも完成した世界を増刷することができる版画というメディアの特質に魅入られたのがエッシャーで、生涯そこから動いていない。


例えば平面分割をくり返しながら徐々に周辺部へ向かって図柄が縮小していき、円を描く周辺部では極小の図柄が驚く程しっかり中央の形態に相似で掘抜かれている作品などは、ほとんどコッホ曲線のコンセプトに近い。そこで数学的思考が喚起されるのは、この周辺部の製版が、ピュアに緻密に行われていることによってなので、あくまでエッシャーの版画家としての職人的完全主義、およびその技法こそが数学的イメージを喚起する。この平面分割の連続による図柄のメタモルフォーゼはエッシャーの代表的な手法だが、むろんデッサンではない、一定の規則に基づいた作図だ。こういった機械的思考、デッサンから遠く離れた、非-人間的で硬質な思考は、色彩にほとんど興味を抱かない「黒と白による造形(駒井哲朗)」、極めて版画的思考回路なのだ。版画の複数性、「版」というものを作ることで同じものを何枚も反復するテクノロジーが最も忌避するのが柔らかで人間的なデッサンであり、そのデッサンを回避する工業性こそ版画の中核にある。この版画の工業的、工作的、非人間的な特質がエッシャーを形成し、エッシャーを数学的思考に近付けている。


エッシャーといえば思い出される、ペンローズ三角形や遠近法のトリックを用いて作図の構造を明らかにしている作品などは、むしろ単純なだまし絵の範疇に納まるものだ。例えば日本で広く知られるきっかけになったのが、1970年のマンガ雑誌の表紙にエッシャーが使われたことだったりするのは、エッシャーにある一定の通俗性を示しているだろう(僕もエッシャーを初めて知ったのは、子供の頃読んだ幼児向けの「○○大百科」みたいな図録で、ほとんどマンガ的扱いだった)。リトグラフが用いられ、色彩こそないものの階調を豊かにもった“描画”が用いられるようになったのも、このあたりの「作図トリック」に「本物らしさ」を与えるためだろうが、それもけしていわゆる「デッサン」ではないことは確認できる。エッシャーがデッサンではない「描画」には親近感をもっていたことは、初期の蟻の細密描写にも見てとれる。ここでもエッシャーは「描画」が世界に似ながらも、正確を期せば期すほど「まったく違う世界」を形成してしまうことに驚異を感じていることは同じなのだが、しかしやはりそれはアンチ・デッサンと言うべきものだろう。


エッシャーがたった1回「画家」に近付いた時があって、それは平面分割による代表作を産み出す直前に制作された、イタリア紀行に基づく各地の風景を描いた木版画だ。この一連の作品は比較的てらいのない風景画で、もちろん木版画の2階調で、どのように風景という複雑なものを記述するのかという技法的興味と展開が強く見られるものの、ここでの黒、及び白は、単なるデジタルな0と1、冷たい作業が産み出す面分割ではない、ある含みを持っている。言ってみれば、その微妙な刷りのかすれやズレなどが、イタリアの風景を包む空気感、トーンを構築しているのであり、後には見られないほど豊かなイメージを描き出している。これらには明らかにリリシズムがあり、ことに「夜のローマ」シリーズが孕む濃密な空気感は、象徴主義的な気配すら漂っていて後のエッシャーとは一線を画す。実際に夜のローマを歩いたことがある人ならば、作品内部の黒が単なる作図上の黒ではないことが理解できるだろう。


そういった、やや湿り気のあるトーンはニ度と見られなくなるのだが、しかし硬質に結晶した作品群においても、やはりその厳密な刷りが立ち上げるインクの黒の質感/紙の白の質感は、幻惑的な図像の奥で、いわば唯物的にエッシャーを支えていたことが確認できた。あまりの混雑に疲労したが、いつまでも人が画面前から動かず滞留時間が長いのは、エッシャーの作品の質からいってしかたがない。