那須の殻々工房に作品を置いてから、気付けばもう一ヶ月がたっている。なにしろ普通のギャラリーではない、あくまでバール+ギャラリーという場で、最初からまるまる5ヶ月展示することになっているのだから、なんというか「個展への張り詰めた緊張」みたいなものは最初から持てない(持たない)のだけど、それでもふと間の開いた時、遠くはなれた場所に自分の作品があることが妙な違和感として感じられる。誤解を招くに決まっている言い方をすれば、どことなく自分の一部が遠くにあって、たまに幻肢のようにその存在がうずく。


年末年始は作業部屋の根本的な大かた付けをして、そこからとりあえずキャンバスを大小合わせて10個くらい張った。つまり去年やっていた「画布に描いて、展示が決まったら張る」という形式ではなく、最初から木枠に張ってそこに描くことにしたのだ。そしてそのほとんどが縦の構図になる。今想定しているのは筆を使わない、ということで、いわば制作のフレームをだいたい個展に出しているものと対になるようなものにすることになる。こういうとまるで全然違うことを始めるように思われるかもしれないが、恐らく相変わらず極端に狭い幅のトーンの油絵の具で描くことになるわけだし、むしろ“おおよそ同じ事を”“少しだけちがう角度から考える”ために、細かなバージョンを変更している事になる。そして、このような持続的な探索が、いつの間にか作品をぜんぜん変えることになる筈だ。


個展の作品との共通点は「画面の側面」に対する姿勢で、張ったキャンパスは全てタックス打ちとした。一部は白くコーティングされたタックスを使った。これは個展を見にきてくれた内海聖史氏に言われたことと重なるのだけど、いわば絵画の基礎構造をあらわにして、どこまでが/どのように「絵画」を成り立たせているのか、という意識の問題の検討になる。内海氏がいわば、精密な測量と加工に基づいた最新鋭の超高層ビル(というよりは現代のバベルの塔みたいだけど)を建造中なのだとしたら、僕はほとんど縦穴式住居みたいな原始的なバラックをぽつぽつ建てていて、「どうしてタテモノって建つのだろう?」とか「そもそもどうして建物が必要なのだろう(洞窟だっていいじゃないか)」みたいなことをブツブツ言っている事になるかもしれない(なにしろ内海氏はかつて「絵画は僕が何をやっても大丈夫」と言い切っていたのだから、その意識の差は明瞭だろう)。


こういう、持続しながらも少しずつ角度をずらしたアプローチをしようとしている時、直近の過去の自作が手元にない、というのが思いのほか大きい。なにぶんこんな長期の展示も、個展に出した作品が完売、なんて経験もない僕は、一つの搬入を終えて次の作品にかかる時に、過去作品がほとんど手元にない、というのは未経験な事態で、はた、と困ってしまう時がある。個展落選組は手元にあるわけだし、なければないで良いのだけれど、こういう小さなことが今回のロングラン展示で予想できなかった感覚で、売れっ子さんとかはこのへんどうしているのだろうか。けして自己模倣するとかいう事ではなく、絵画における思考というのは即物的なタッチそれ自体の事なので、それこそ「ズレる」ために自作が見たくなることがあるのだ。


あと、去年とはっきり違っている現実的な条件というのがあって、近々にいくつか展示予定がある。2月には古河三高の美術部OB展がある。これは個展と同じく描きためたものから出すのでもう出来上がっているのだけど(松の内に配偶者の実家の倉庫に突っ込んで来た)、もし間に合うのなら新作も持っていったっていい。その後には個展の一部展示替えがある。ここにははっきり新作を出す。それと、6月には川口市の市民ギャラリーでの企画展の話しがある。なんだか年の前半に細かく予定があって、しかも那須の展示は5月頭まで続くのだ。瞬間的なテンション放出、みたいなことではなく、連続的なハイランド状態が必要なのかもしれない。