ひらがな日本美術史〈3〉


金刀比羅宮の特別公開の他に、実は秋の西日本ではもう一つ重要な展覧会が予定されている。京都国立博物館の「狩野永徳展」だ。

金刀比羅宮奈義町現代美術館を見る事を軸に、あとは大原美術館とか岡山市街地になぜか密集している前川國男建築とか丹下健三香川県庁+倉敷市立美術館とかをざっと眺めておこうとスケジュールを立て、宿も押さえたところでこの展覧会に気付いた。巡回はない。今出ているBrutusの国宝特集でも触れられている(参考:http://www.brutusonline.com/brutus/)ように、永徳の個人名の展覧会というのはなかったわけで、なかなか貴重な機会だ。永徳は重要なものが東京国立博物館や米沢にあったりして、どうしても京都で見なければと思うのは聚光院の襖絵とかなのだけど、これも以前東博に来たことがある。今回の出品物では新たに真筆とされた作品や、メトロポリタン美術館狩野派の作品が珍しいが、そういった個別の作品というよりは、とにかく「一堂集結」といった所に企画意図があるだろう。


国内とはいえ、いつでも関西にふいっと行けるわけでもないので、帰りがけに1泊増やして京都に寄ることにした。日程をずらす必要が生じたので、大キャンセル大会である。本来特定の場やシュチエーションの為に描かれた障壁画や屏風絵を乱暴に1箇所の箱に置いて並列に見せてしまうのが近代ミュージアムの野暮さだが、どうせならこのくらいガッツリやって、作品相互の関係性を(半分捏造かもしれなくても)見せてしまえ、という狙いだと思える。もっとも、せっかく京都に行くなら、やっぱり「その場」のものも見ておきたいので、半日は二条城(以前行った時見逃した)や大覚寺を回るつもりではある。


というわけですっかり日本美術づいている。このきっかけは先にもらったメールの他に、橋本治の「ひらがな日本美術史」が完結したという事がある。個人的にはこの本は日本美術に触れるきっかけであり、その後も僕にとって事実上ほとんど唯一の日本古典美術のガイドラインとなっている。今でも日本の古典を見るときには必ず「ひらがな日本美術史」が脳裏にある。以前書いた「バカにも分かる美術の本」ではゴンブリッチの「美術の物語」と並列に扱っているが(参考:id:eyck:20050406)、そのぐらい教育的な本なのだ。同エントリにも書いたが現物を見に行きたくなる本で、図版および図版の見せ方の見事さは、連載されていたのがグラフ誌「芸術新潮」だからかもしれない。そして、現物を見てくると、結構な箇所で「それは違うだろう」と突っ込みを入れたくなる。また、そもそも「なんでそれを取り上げるかな」という、チョイス自体にも疑問がわく。


そして、まさにそのように「自分の判断は(この本と)違うぞ」と思わせる所にこそ、「ひらがな日本美術史」の圧倒的な教育性がある。この本は徹頭徹尾橋本治の「俺はこう思う」という姿勢に貫かれている。「正しい歴史」とか「誰もが前提とすべき教養」とかではなく、「俺はこういうものが好きで、そしてそれは当時の人も思っていたであろう感覚や感情と同じではなくても連続していて、そもそも歴史というのはそうやって作られたものじゃないか」という態度が示されている。だから「ひらがな日本美術史」を読む人は、自動的に「橋本治はそう思うかもしれないが、自分はこう思う」と思うし、「橋本治がそれを選ぶなら、自分であればこれを選ぶ」とも思う。読者を説き伏せるというよりは、読者に自発的な思考を促すように出来ていて、だからこそ「ひらがな日本美術史」という本は、読み終え、現物を見終えると異論反論が出る。そこが物凄く面白い。


こういう事が、例えば音楽であったら、かなりの人に似た経験があるのではないか。10代の時、音楽の面白さに目覚めるタイミングというのは、趣味が重なり知識を持った友人や先輩に「これ聞いてみろ」と言われたり「これ面白いぞ」と教えられたりすることで与えられる。僕であればちょうど美術予備校に行っていたとき、2浪していた先輩につれられて(CDと入れ替えのために)たたき売られていたアナログレコードを漁るためにあちこちの“レンタルレコード屋”を巡った。そこで先輩に、これは買っておけ、と言われたのがブライアン・イーノだったりしたわけだ。そういう先輩というのは、どんどん「自分の好きなもの」を持ってくる。そうするうち、だんだんこちらにも「自分の好きなもの」が出てきて、先輩に「それは違うよ」とか言い出したりする。先輩が教えてくれる膨大な量を経験するうちに自分なりの価値判断ができるようになってきて、つまりそこでは「それは違うよ」と言えるようになること自体が大きな教育としてある。


僕にとって橋本治の「ひらがな日本美術史」は、あの先輩に近い存在だった。そもそも興味も接点もなかった日本の古典美術の入り口になってくれて、そこで次々示されるものを見ていくうちに、徐々に自分でも好き嫌いがはっきりしだして、やがて橋本治の文章に「それは違うよ」と突っ込みを入れ始めていく。そしてそのような異論反論を持たせる力が「ひらがな日本美術史」の、素晴らしい点だと思う。この本を読んでいくと、日本の美術史で面白いのは鎌倉時代の前と安土桃山期ということが見えてくる。要するに動乱の時代に面白いものが出てきていて、これに明治維新以降というのを加えると、美術というのは「平和な時代をどう切り抜けるか」なのだと見えてくるが、だとすると現在はどういう時代なのか?ということが問われてくる。これこそ歴史書のもっともアクチュアルなところで、過去の古典を見るのは、別に優雅な趣味でも教養主義でもなくて、ピュアに「今」を生き残るためのサバイバルとして不可欠なのだ、ということがわかる。妙な現代美術を見るより、古典を見た方が今日と明日を生きていくために有効だ、ということまで教えてくれるのが「ひらがな日本美術史」だ。


僕にとって明治以降の日本の近代美術というのは別のルートでアクセスしていたし、「ひらがな日本美術史」も近代は軽くしか触れていないのでメインは近世、ということになるけれど、最も面白いのは3巻ではないか。基本的に安土桃山期から江戸初期をあつかった巻だけど、僕はこの本で東照宮の意義がわかって古びた古典の本来の姿をイメージするようになったし(唐招提寺だって創建当時はド派手だったのだ)、姫路城の天守閣の「意味のなさ(そしてそれ故の美)」が理解できたし、長谷川等伯図像学的・形式的に分析することの有効性に気づいたりもした(例えばセザンヌマチスを見るように、あるいはヴァールブルグ学派的に等伯を見ることが出来る、ということに気づいた)。そして、実際に様々な機会に等伯や永徳を見て、実際に自分なりの「判断」ができるようになった。


具体的には僕は基本的に等伯派で、永徳は素晴らしく見事だとは思うけど、どこか「見事」でしかない、というふうに思うようになった(橋本治は「そこがいい」というだろう)。僕は永徳の父の松栄の水墨画的鬱陶しさが好きだったりする(永徳には、どこかイラストレーションの匂いがするのだ)。いずれにせよ、そんなことが考えられるようになるには「ひらがな日本美術史」の存在が不可欠だった。実際、今これほど人を日本の古典美術に誘える本があるだろうか。もし永徳展を見ることができたら、僕は会場で、また「ひらがな日本美術史」と対話することになるだろう。