京都で狩野永徳展を見た。とても良かった。僕は以前、永徳を「見事だけどどこかイラストレーションの匂いがある」と書いたことがあるが(参考:id:eyck:20070908)、この見方はひっくりかえった。相変わらず個人的には長谷川等伯は好きだし狩野松栄も言われているよりよい画家だと思っているが、永徳が傑出していることは間違いないと思う。そして、そのような永徳の最高打点はやはり大徳寺聚光院の襖絵だと思えた。真筆と確信できるものに関しては、永徳は墨絵が素晴らしい。永徳の墨絵は、タッチがイメージからほぼ独立している。まるで、まったくイメージと無関係に打たれた点や引かれた線、薄墨のタッチなどがふいに組み合わさって「樹木や鳥に見えてしまった」かのように建築されている。その、互いのタッチが浸潤しあうことがない乾いた連合(ユニオン)は、音楽的なリズムで画面を(そして恐らくはそれが配された聚光院の空間を)支配しているように思えた。


永徳の墨絵に見られるユニオン的感覚は、画面を見ていると、まるで各タッチがはらはらと浮遊してしまうかのような、とても緩やかな在り方と、しかしなおかつ、各タッチのもつベクトル(角度と速度)+位置、強度(主に濃淡の強弱を指す)が完璧に正確であり、微動だにゆるがせにできないと思える厳密さという、相反する張力の拮抗の上になりたっている。聚光院の永徳の襖絵のうち、今回の展覧で見られる「花鳥図襖」では、例えば始点がはっきりしそこから抜かれるストローク、比較的長さの似たそれらが少しずつ角度を変えながら連続し、いつのまにか巨樹の幹を現す。その幹に接続された、濃く鋭いストロークは幹から伸びた枝のようであり、更にその上から打たれたやや淡い点は、枝に咲き誇った梅の花弁のようでもある。細く長く流麗に引かれた線の一群は川の流れを梅樹の向こうに示すかのようであり、画面下辺付近に筆の根元から入りきゅっと止められたタッチはいかにも笹の葉のようである。淡く淡く染込まされた薄墨のスティンの色面が遠くけぶった野山にみたてられ、その中にある、急激に密集した筆跡の塊は、空に飛んだ小鳥にしか見えない。


同様の感覚がより明瞭に与えられるのが京都国立博物館蔵の「仙人高士図屏風」で、この作品ではタッチの自立性はより高い。木の幹を現す線は「花鳥図襖」のそれより筆圧や濃度を下げ、筆の入りと抜きのポイントが引き延ばされている。そこに、まったく次元を異にするような濃い点が打たれるのだが、これがいったい木の幹にからまった蔦の葉なのか、苔なのか、ほとんど判別できない。ただ、この点の「強さ」が、その下のストロークの「弱さ」と絶妙に関係しあるバランスを形成していることだけは間違いが無い。「仙人高士図屏風」では主に長く細いストロークの連係が画面を組み立てるが、その連係はコントラストの強さを用いず、主に位置関係だけで構成されているため、今にも相互の線がほどかれ四散してしまいそうな危うさすら感じさせる。逆に、コントラストや墨絵のコードの「縛り」に傾いているのがやはり聚光院の襖絵中の「琴棋書画図襖」で、こちらではタッチのバリエーションはやや狭くなり、主に濃い墨の明瞭な輪郭を持ったストロークが、岩山や木々をくっきりとしめしている。


墨の濃淡と性格の異なるタッチの集合がある情景を組み上げていくのは墨絵のメソッドの基礎だと言って永徳を一般化すれば、永徳独自の、タッチのイメージからの独立性を見失ってしまう。ここではあるコードに従属してタッチが配置されているのではない。いわばタッチの個別的な自由に、相互の関係性の強度を与えるために、ネットワーク上のプロトコルとして水墨画のコードが利用されているのだ。前者の個別的自由さが「はらはらと浮遊してしまうかのような」タッチの感覚に、それらを結び付けているコードの適用の的確さが「微動だにゆるがせにできないと思える厳密さ」に繋がっている。このバランスが展覧会出品作品中もっとも緊密に成立しているのが聚光院襖絵の「花鳥図襖」で、墨絵のコードをより強化してタッチを固定化する側に軸足を置いているのが「琴棋書画図襖」、このコードを弱めタッチの自律性を全面に押し出したのが京都国立博物館蔵の「仙人高士図屏風」と言っていいだろう。永徳の評価は「勇壮さ」、すなわち強いコントラストと大振りな構図、ダイナミックな構成などが中心であり、「琴棋書画図襖」のような、強さを全面に打ち出さない作品の評価を一段低く見る傾向があるようだが、例えばより「強い」印象のある「琴棋書画図襖」は祖父・狩野元信の影響を強く感じさせ、永徳の特異性が目立たない。


永徳のタッチには元信を介して雪舟の影響が感じられるが、雪舟においては部分的には例外があるにしても墨絵のコードへの興味が強く、作品の成立もこのコードに依る割合が相対的に多いと思える(雪舟が現在ビビッドに見えないのは、墨絵のコードの共有が難しいからではないか)。狩野元信はこのコードをふまえながら、徐々に画面の構成・タッチの自立度を強化していて、この元信を土台にさらに「描き」そのものを存分に開放したのが永徳であるかのように見える。ただし、永徳は既に「強さ」、墨のコントラストや構成の大胆さによらずともタッチやストロークの自由度は獲得できる(というか、「強さ」にだけ頼ると不自由になる)ことに気付いていたのではないだろうか。事実、永徳的な特徴は扇に描かれた「笹に双鳩図扇面」や新たに見い出された「梔子に小禽図」など小品であっても見ることができる。


こういった特性を持つ墨絵に比べ、色彩の使われた屏風絵、例えば唐獅子図屏風や檜図屏風は、主にルーベンス的な太く(その「太さ」は、画面の大半を埋めるかのような太さだ)明解な運動(例えば檜図の木の幹、あるいは唐獅子の描く渦巻き)の、抵抗を孕みつつそれを押し破るかのような“馬力”に集約されており、その圧倒的な力の感覚は確かに日本の絵画史において際立っているものの、いわば組成の複雑さという点では墨絵におよばない。というか、このほとんど油絵的なまでの強さをドン、と打ち出して来る永徳という人は、完全に彩色画と墨絵で構えを変えているとすら思える。彩色画は確かに素晴らしい達成なのだけど、いわば溶かれた顔料の「塗り」が各要素を混じりあわせ密接に一体化させて、言ってみれば墨絵よりも「モノトーン」に近いのだ。ここでの「トーン」とはけして色数の事では無く、文字通り「調子」というべきもので、当然彩色画のほうが「色数」は多いのだけど、唐獅子図屏風や檜図屏風は、画面が全体で一つのトーン(調子)で貫かれていて、それこそが作品の強度に繋がっている。対して永徳の優れた墨絵は、「色数」は一つであってもトーンが見事なまでに複数化されていて、結果的に非-モノトーンになっている。


永徳のさらに違った側面、それはいわば墨絵と彩色画を結ぶ辺から等距離離れた三角形のもう一つの頂点のような存在が米沢の「洛中洛外図」で、ここではダイナミックさは急に緻密さにとって代る。しかし、この緻密さがいわゆる蒔絵のような、工芸的のっぺりさに繋がらないのが狩野永徳という人の凄さで、大画面に散乱する鮮やかな小さい色面、それは建物の屋根であったり人々であったり風景であったりするのだが、これらがきりっと分節され、いわば金地の面の中で明滅するようにあるのが特徴的と思える。そのような各部分の独立性の高さは墨絵で感じられるものと通じているけれども、しかしやはり彩色という行程は墨のタッチ程自由度が高くないため、あの音楽的なまでの軽やかさはない。近年発見されたという別の「洛中洛外図」は、完成度が今一つで佳品ではあっても米沢のものとは同列には見ることができない(僕のようなものからすれば、聚光院の襖絵と唐獅子図屏風と米沢の「洛中洛外図」が同一の画家の手になっているということが驚異的だ。たしかにこれらにはどこか共通する強度があるのは確かだけれど)。