■
高橋由一の油絵は「気持ちが悪い」。その気持ちの悪さは、主に高橋の油絵の具の質にある。多くの作品で高橋の油絵の具は生っぽいのだ。これは、よく絵の世界でいう「絵の具が生」というのとはちょっと違う。高橋の絵の具は、イメージになる直前で踏み止まって、あくまでそれが油絵の具であることを隠さないように描かれている。この、イメージと乖離する油絵の具の、いわば他者性がぬっと突き出ているところが、視覚における統一平面に納まりきらず、前述の「気持ちの悪さ」に繋がっている気がする。絵の具の扱いだけではない。高橋の絵づくりの全体、モチーフ選択や構図の構成(コンポジション)までが異様なのだ。いうまでもなく、高橋はイメージを無視するのではなくむしろイメージの再-現にこだわりぬいている。イメージとイメージを構築する油絵の具が対極に突出したまま、それがなぜか1枚の絵に押し込められている感じだ。納まりが悪い、という言い方では食い違う。今“油絵”という日本語は死語だが、しかし高橋由一の作品こそ、禍々しく生きている正真正銘の“油絵”だと思える。
金刀比羅宮の高橋由一館は立派な建物なのだが、そこでの高橋の存在は明らかにバルールを外している。1階では金刀比羅宮のアートディレクションを行っている田窪恭治氏の仕事の紹介やモデル・映像の展示があり、良くも悪くも「アート」の枠組みに沿ったものが置いてあるのだが、入り口から見て下層レベルに降りた高橋の展示室になると(この建物は斜面に立っているので地下ではないのだが)、いわゆる「良い絵」という概念がまったくない異形の作品群があり来館者が戸惑っている。高橋の絵は、「上手」ではない。マテリアルをイメージに従属させる退屈な映像的絵画、例えばラファエル・コラン/黒田清輝的なものを「上手」と呼ぶのなら、高橋の絵はそのような上手さからはもっとも遠い。技術的に下手なわけではない。“油絵”に様々なアプローチをする高橋は、部分的に黒田的な絵も描いている。隅田川河口の景色を描いた「洲崎」などは、いざ映像的なものを描かせれば十分以上のテクニックを高橋が持っていることを示している(似たモチーフの「芝浦夕陽」とかは、どこかウジェーヌ・ブータン的なおもむきもある)。この作品は、室内で珍しく徹底して映像的であるぶん、むしろ奇妙な存在になっている。
が、しかし高橋の油絵の特質は、やはり「巻布」や「なまり」といった作品にあるだろう。高橋の絵の具は大ざっぱにいって2つの扱いがされている。一つは「置く」、もう一方は「伸ばす」だ。例えば東京藝術大学が持つ「鮭」や「花魁」、また金刀比羅宮所蔵のものでも「豆腐」「墨田堤の雪」などは、絵の具が短いタッチ、あるいは点として置かれ積層して一種の質を獲得する。対して「なまり」「鱈梅花」「桜花図」等では、絵の具はストレッチ/引き延ばされている。概観すると「鮭」や「墨田堤の雪」といった「置かれた」絵にいわゆる完成度がある印象だが、しかし高橋の絵の異様さは完成度などとは無関係だ。例えば「豆腐」では、はっきりと絵の具が置かれていて(背景には対比的に「伸ばされた」絵の具があるが)、絵の具がしかし豆腐でもあるような質が現れているのだが、この質が、全面的にイメージに埋没せず、最終的に「しかし、これは豆腐であると同時に油絵の具である」といった地点に回帰する(豆腐の3様態、つまり油揚・豆腐・焼き豆腐といった相転位を描き分けていることから見れば、高橋がこのような「豆腐であると同時に油絵の具」という分裂に意識的であったのは明らかだ)。それはマチエール、滑らかに仕上げられていない豆腐表面のもちもちしたテクスチャに現れる。
むろん、たいてい「置く」と「伸ばす」は混交して用いられる。描かれた当時そのリアリスティックなイリュージョンで人々を驚かせたという「貝図」などは、子細にみれば貝の構造が置かれたタッチと引き延ばされたグラデーションに分解され、少し下がってみたときそれがリアルな貝に見えてしまうのが不思議なくらいだ。ベラスケスにおいて、像と絵の具が分岐する作品からの距離が問題になるが、これとまったく同じ感覚をあたえるのが「貝図」で、いったいどこまで近付くと貝が絵の具に解体されるか、何度も近付いたり離れたりしてしまう。また、「置く」と「伸ばす」が折衷され、いわば「塗り込める」ような、絵の具を一種の色紙のように扱っているのが「巻布」「読本と草紙」だ。ここでモチーフが布、あるいは紙という「平面だが像ではない物質」であることに注意しなければならない(そして布や紙に漢字・かなが描かれていることにも十分意味がある)。「豆腐」でもそうだが、高橋はあきらかに、描きと描かれるものの多重性を意図しているのだ。「塗り込める」という技法が意図的なものであるのは、「左官」などという作品があることにあかららさまになっている。ほとんど駄洒落みたいだが、こういったユーモアがまったく低次元では無く高度な表象操作となっているのが、高橋由一のどこか底の知れない恐さに繋がっている。
高橋由一は宇宙人のようだ。正確に言えば高橋にとっての油絵が宇宙人的なものだったのだろうが、そのような感受性は以前も以後も存在しない。わずかに黒田清輝の弟子でありながら映像的でない絵の具を扱う岸田劉生が目立つが、最良の作品(例えば大原美術館所蔵の静物画)などはともかく、やや装飾的な作品を見ると、やはり高橋とは同一には語れない。高橋において、油絵の具はイメージに回収されないソリッドな記号として現れる。この在り方は日本美術史はもちろん、西洋美術史にも定位できない。高橋の単独性としかいいようのないもので、幕末-明治期の文化的混合にその原因を見るのは間違っている(もしそうなら、高橋的絵画・画家は他にも存在する筈なのだ)。油絵を広めようとして大衆的なモチーフを選んだという本人の弁までもが「高橋由一の原理性」を裏切っているのであって、高橋の無意識は、やはり油絵という宇宙人的メディア・知覚に“ボディ・スナッチャー”を食らったのだ。だから彼の捕らえる世界は全面的に宇宙人的知覚となる。そこでは巻布もなまりも豆腐も隅田川沿いの風景も、地球人の感覚から常にはみだすものになるだろう。その知覚からのはみだしがキモチワルイという生理に繋がるのだと思う。