大学に入った時期の事は今でもとても良く覚えている。春の、むんわりした暖かい空気とか、どこかしら香っていた花の気配とか、芽吹きはじめた緑とか。八王子の丘陵地にキャンパスがあったから、そういう、4月の気象の変化がとてもビビッドに感じられた。さえずっていた鳥の声と、そこを縫うように走ったバスのエンジン音さえ思い出せそうな気がする。


山の斜面に、卵が置かれた巣のように校舎は立っていて、まだいろいろとぎこちなかっただろう自分と、同級生達がうろうろとしていた。クラスという概念のない学校だったので、少し居場所を探すのに苦労した。しかし、段差のおおい敷地だからか、えいっと腰を降ろしてしまえばいくらでも座っていられた。最初はガイダンスや履修の手続に追われていて、その合間に散発的にサークルの説明会とかあった。絵画科のアトリエはとても大きくて、北側採光の高いすりガラスからは綺麗な光が入っていた。モデルが立ったらいいな、と思ったけど最初の課題はたしかダイナミックに大きくモチーフが組まれた静物デッサンで、皆けっこう手慣れた感じで描いていた。一人だけ、明らかに受験勉強でデッサンしていない、推薦入学した人が呆然としていた。だいたい予備校が同じ人たちが仲間になっていて、弱小予備校から来た自分は少しぽつんとしていたと思う。


やりたいこともなかったし、目指すべき自分の将来なんかもまったく考えていなかった(そういう事を考える、という発想がそもそもなかった)。むやみにできた時間を持て余して、一人で学校周辺の滝や森を散策したり図書館でバタイユを読んだりしていた。入学当初はむしろ、他の美大に行った予備校仲間と寺山修司の映画をパルコに見に行ったり音楽テープをコピーしてもらったりしていた。だから相変わらずアトリエでは友達がいなかった。体育の時間が大学にもあってびっくりした。最初の授業は山登りだった。その後の授業で誰かと組まされたりするのは苦痛だった。美術館にはよく行った。まだJRの改札が自動化されていなかった。埼玉から長距離通うための通学定期で、都内に出るのが楽だった。今思うと呆れる程贅沢な時間の使い方をした。講義には一通り出た。最初の一コマ目でノートを取ることを放棄し、以降卒業まで1文字も書かなかった。


ある日「演劇部/新入生歓迎公演」のポスターが学生ホールに張られていて、気になって、一人で見に行った。彫刻科のアトリエが改造されて「劇場」になっていた。まだ4月の、宵だった。暮れはじめた山の残光の中で、なぜかセーラー服を着た女の子が受付けをしていた。350円を払ってチケットを買うと、スーツを着た男性が劇場に誘導してくれた。スーツを着る、つまり「お客さん」に不快感を与えない様「ちゃんと」サービスをする、という態度が少し緊張を誘った。中に入ったら、絵画科と同じ作りの筈のアトリエは、舞台が設置され足場が組まれて演劇用の照明が吊られ、客席も階段状に作られて別空間になっていた。あっけにとられていたらいつしか客席は満員になり、先程のスーツの男性が手慣れた感じで、「もう少しつめてくださいー、はい、よいしょ!」と少し盛り上げ笑いをとりながらさらなる客入れをした。開演時間を少し過ぎてから客電は暗転し、つかこうへい原作「熱海殺人事件」を全面的に改校した公演が始まった。


このサークルを中心に、私は卒業までの4年間をすごすことになった。最後の4年生の時、ダブルキャストで父親役だった私は、やはりダブルキャストで娘役を演じた下級生の女の子と交際をはじめた。彼女とは卒業してしばらくしてから結婚し、昨年子供が産まれた。


あの時、あの場にいなかったら、どんな人生を送っていたのか。そんなことを考えるのはまったく無意味だ。私は何かを選んだだろうか?そんな意識はなかった。私は何か特別な努力をしただろうか。それもなかった。振り返って、大学の4年間が“ありがたい”ものだったと思えるのは、はっきり言って運がよかっただけではないか。私立の美術大学に入れてくれた親の力とか(特別裕福な家ではなかったから大変だっただろう)、遊んだり喧嘩したりしながらつきあってくれた友人達とか、満足に課題もやらないのに「作品のかわりに」とか言って書いた演劇台本を読んでくれた先生とか、そういう人の好意を受けることができたから、私はあの4年間を大過なく通過できた。


一番運が良かった、と思えるのは、私の周りには、常に、どこかしらに、作品を作ることをおもしろがっている人がいて、私はその人たちの後をくっついていけた事だと思う。自分より才能があり、自分より意識が高い人というのは、ちょっと見回せば1人くらいは存在して、惜し気なく魅力をふりまいていた。私はそういう人のつくる作品に魅了されたし、そういう経験の積み重ねが、凡庸な自分をすこしずつ引張り上げてくれた。この幸運は卒業後も続いて、今も続いている。私は、自分が面白いとか、自分が素晴らしいとか思ったことはない。ただ自分より面白い人や、面白い作品を単に「面白い」と言えた、言い続けることができただけだと思う。そして、これはたぶん、十分自慢に価するんだと思う。