上田和彦氏「アートと資本主義」再録に関して

「組立」専用blogで、昨日より上田和彦氏の「アートと資本主義」のweb再録を開始しました。

上田氏による「はしがき」にもあるとおり、原文は『PUNCTUM TIMES』に4回に渡って連載されていたもので、今回はそれをblog上で8回に分けて読めるようにしました。上田氏と転載を快く了承して下さったPUNCTUM様に感謝します。


このtxtの存在は上田氏の名前を知った頃より把握していましたが、いかんせん入手が難しく、今回コピーをご本人より頂いて初めて読むことができました。マルクス資本論」を元に芸術について論じる、という試みは過去、吉本隆明氏による「言語にとって美とはなにか」等が有名ですが、この書物は独自の用語法によってとにかく読み進む事が難しいという困った本となっています。比較するのが適当ではないかもしれませんが、上田氏の試みは、ごく小さなラフ・スケッチではあるものの形式的に明晰なものであり、論理を追いさえすれば曖昧な点はありません。ゆっくり読めば、大抵の人には理解可能な論となっています。


現在、美術を論じるタームはイメージ論、あるいは表象論に偏っており、なおかつそれらはアカデミックな場所でピュアにペーパーとして生産され消費されています。対して多くの美術家はまったくそれとは無関係な場で、ほとんど勉強することなく感覚中心主義でやっている。この双方が生産的に交流する場所は、ごく限定的な場面(その多くがwebを媒介とした場であるように思えます)でしか感じ取れないのが実情です。さらにはそのようなイメージ・表象論の下部構造となる経済、あるいは資本の論理に足場を置く議論が少ない、あるいはまったくないのは異常と言えます。人ごとではなく、私自身の問題でもありますが、そこには一種のおびえがあるのではないかとすら感じられます。


こういった環境の中で、実作者である上田和彦氏が試みた「アートと資本主義」は、小論とはいえ大きな価値があると私は思います。気の利いた事の言い易いイメージ論とは異なり、こういった試みが行える能力の持ち主というのはそうはいない。無論、「アートと資本主義」は「組立」と同じく小さな試みですが、そもそも議論のたたき台すらない環境では、このtxtのwebへの再録はインパクトのあるものと考えます。