三の丸尚蔵館で「帝室技芸員と1900年パリ万国博覧会」展の1期目。東京駅から、暑いとはいえ最悪、というほどでもない日差しの中を、それでもビルの影を拾いながら大手門まで歩いた。皇居の堀は緑で、白鳥が映えている。タンクトップの白人女性が橋のたもとにいて、その隣をすり抜けながらごっつい大手門をくぐると動線が規定されている。守衛さんから「入園券」と書かれたプラスチックの券をもらう(無料)。三の丸尚蔵館はそのすぐ近くにある。


明治開国直後のパリ万博で、日本の輸出品目として売り出しをかけるための工芸品のキャンペーン・イベント見本商品が並んでいる、と見ていいのだろう。その個々の作品を見ていると正直薄ら寒い。川端玉章の「四時ノ名勝」はモロに観光地の絵葉書でしかないし、香川勝廣の「和歌浦図額」なんていう工芸品が、当時の展示会場でイーゼルに立てかけられていた様子の写真を見ると、着物の売り場に金髪の白人マネキンが使われているズレっぷりに近い座りの悪さがある。清風與平の「白磁彫刻画花瓶」は図体だけでかくて安っぽい。昔の中途半端な家の応接間にあった無意味に大きなガラスの灰皿みたいだ。


この寒さが、笑えるどころか今リアルなのは。同じ事を我々が反復しているからだ。世界水準の日本のアート、というものの、恐ろしいくらいの古さ、100年前から何一つ変化がない状況が目の当たりにできる。変わっているのはモードでしかない。明治期は螺鈿や蒔絵工芸、陶磁器等が流行ったし、今はサブカルチックなものが流行る。今回の展覧会の出品作を見て感じるサムさを、もちろん現在の日本のアートも抱えている。それが見えないのは時代のベールのせいだけではない。欧米から見る「アジア人の作る興味深い品」という視線の内面化が連綿と行われているからにすぎない。


最も象徴的な展示品は伊藤平左衛門による「日本貴紳殿舎計画図」だ。尾張藩の宮大工の家に生まれ、明治政府下で西洋建築も学んだ工匠が書いた架空の建築の図面なのだけど、これが一体何の建築なのかわからない。やたらと壮麗な建物であることはわかるのだが、それが城郭なのか、住居なのか、寺社なのか、宮城なのか判断ができない。当然の話で、日本の寺社や住居といった建築様式を知らない西洋の人々に向けて、日本の建築の、住居や寺社の様式を部分的に組み合わせて折衷したものなのだ。要するに、正確な日本の建築をきちんと伝達しようとしたものではなく、様式の区別のつかない西欧に最初から「合わせて」、日本人がわざわざ自ら「なんとなく西欧人が飲み込み易い、漠然と日本風な感じのする、しかし実際にそんな日本建築はない」架空の図面を書いてみせたのだ。


日本がやる日本のモノマネ。自己の解析ではなくイメージのトレース。上山和樹氏の言葉を借りればひたすらな「順応」の成果。連想されるのはシカゴ万博で日本舘パビリオンとして作られた「鳳凰殿」だ(参考:http://www.lib.u-tokyo.ac.jp/tenjikai/tenjikai2003/tenji/f11.html)。この、平等院鳳凰堂を模しながら、なんとも無様なプロポーションを持った悲惨なタテモノは、勿論寺社でも住居でもない。万博パビリオンという西洋のコンテキストにのっけて、なんとなく「日本風」な意匠をアピールしている物件だ。“西洋のコンテキストにのっけて、なんとなく「日本風」な意匠をアピール”する建築もアートも、今現在変わらず再生産されている。凄いのが、こういった「恥ずかしい」物品が、誇らしげに皇居内の宮内庁に収められ、観光でくる外国人も多い三の丸尚蔵館という場所で厳かに開陳されている風景だ。


日本における美術がどこまでいっても「技芸」なのは、美術という構造体自体を思考することなく、そのシステムにとりあえず乗っかって上手くやる(順応する)「ワザ」ばかり磨いているからだ。常に価値基準は外部にある。手っ取り早く超越的な誰かにウケて(褒めてもらって)、それを内面化して自信にして共同体内部に還流する。帝室技芸員は、当時国内での工芸家・美術家にとって最も栄誉ある地位だったそうだ。これももちろん昔話ではない。当たり前だが今の日展やら日本芸術院に栄誉などない。彼らは無視されているだけだ。こういう書き方だと、私が村上隆批判をしていると思われるだろうか?そうではない。村上隆氏はむしろ戦略的にこの構造を逆手に取ろうとしていた。ただそれが成功せず、むしろ構造に取込まれつつあるだけだ。むしろ、村上氏の後続の方が問題だ。近年のマーケットのアリバイ工作として出て来た「マイクロポップ」とかは幸いハズして空振りした。だからといってこういった動きが消えた訳ではない。


この展覧会でよく分かる。日本における美術にここ100年以上変化はなかったし、今もない。というよりも、細かく「変化」するサーフェース、様々な技術や環境や政治や社会の動勢に柔軟に順応して「変化」し続ける、その鋭敏でスピーディーな「変化」それ自体が、骨格を維持し根本の変更を引き起こさないような装置として機能し続ける。的確な状況読み取り能力。風向きを先取りしてきれいにパッケージし提出し続けるきめ細やかなテクニック。これこそ“日本的なるもの”を延命させ、この文化圏の保守王道として評価され続けるだろう。そういった人が現れたら、彼/彼女はけっして変化をおこす人ではない。変化をくい止める人だ(きっと将来文化勲章とかもらえる)。嫌みとか皮肉とか、そういうふうに受け止められると困る。本当にそうだと思う。


ただ、それは私が考える意味での美術でも芸術でもない。技芸だ。私にとって「帝室技芸員と1900年パリ万国博覧会」展が何らかの刺激になりうるとすれば、こういった日本の美術の構造に対する検討をする場合だけだ。めまぐるしく変化する表面を素早く掬い取ることが私にとってのクリッティックではない(そこに意味がないとはいわないが、そういうことは市場経済の方が素早く的確にやってくれるのだから、いっそのこと経済に任せてしまった方が生産的だ、というのが20世紀末の貴重な教訓ではなかったか)。皮膚の美容や整形は経済がやってくれる。そこで「世界的」なのは単に市場であって後追いする美術家でも批評家でもない。芸術家、という存在が日本で可能だとして、その人がやるべきはコスメではなく筋肉の分解であり内蔵の解剖であり骨格の組み替えでありゲノムの解析の筈だ。自らの下部構造を問わない思考は思考ではない。


帝室技芸員と1900年パリ万国博覧会

  • 三の丸尚蔵館
  • http://www.kunaicho.go.jp/11/d11-05-47.html
  • 会期:平成20年7月19日(土)〜12月14日(日) 
    • 第1期: 7月19日(土)〜 8月24日(日)
    • 第2期: 8月30日(土)〜 9月28日(日)
    • 第3期:10月 4日(土)〜11月 9日(日)
    • 第4期:11月15日(土)〜12月14日(日)
  • 休館日:毎週月曜日・金曜日および展示替の期間
  • 開館時間:7月,8月は午前9時〜午後4時45分(入館は午後4時30分まで)
    • 9月,10月は午前9時〜午後4時15分(入館は午後4時まで)
    • 11月,12月は午前9時〜午後3時45分(入館は午後3時30分まで)