コバヤシ画廊でScale-Out 2008展。参加作家の多田由美子氏からお誘いいただいて、オープニングにお邪魔した。多田氏の作品に関しては先の個展の時に(参考:id:eyck:20080327)、完成度の高さがやや画面を硬くしているな、と感じたのだけど、今回の出品作にはそのような硬さがなくて、描画材が紙の表面を滑ってゆく感覚がとてもフレッシュに感じられた。画家が、一度「完成度」を手に入れたあとそれを廃棄するのは意外に難しい。それは懸命に克服してきた自分の弱点を再び召喚することになりかねない。人目に晒す作品から完成度を引き離すには、それだけのモチベーションが必要になる。そしてそのモチベーションが見つからなかった時、画家は批判されることのない、しかしどこにもビビッドなところのない作品を再生産し始める。


多田氏が今回の作品で完成度より優先したのは、上記の通り色鉛筆や筆が紙の上を走る感覚で、この感覚を惹起したのはユポ紙というプラスチック由来の紙にあるだろう。表面が滑らかで、かつマットな質感が、その青白い人工的な半透明の白と相まって非常にポップな基底をなしている。ここに走る、多田的とも言える風景の輪郭を追った色鉛筆の線が、ごちゃごちゃと、糸くずのように集積しつつその上からアクリルの筆跡が、含んだ水を簡単には染み込まず溜まってムラをつくる。よく見れば、上下に張られた作品は、同じ風景を微妙にずらして描かれている。多田氏はこのユポ紙の特性に鋭敏に反応することで、ちょっとチカチカするような、ヴァルールの外れた色彩を引き出してきたのだろう。やたらと彩度の高い色彩が、それでも清潔感を持っているのは、残された白が十分に意識され緊張感をもってあるためだと思う。生き生きとしている反面、やや筆が走りすぎているというか、筆のストロークや飛び散らせた飛沫が絵画の構造とは離れた、装飾的な感じになってしまっているのがもったいないとおもう。そこをもう少し抑制していくと、この作品はドローイング的な存在ではなく、キャンバス画と拮抗した強度が持てる気がする。


佐々木健氏の作品は、いかにもマチエールがありそうに見える絵画で、凹凸のある画面を作った上で表面を削ったような見た目の触感を覚える(つまり、見た目のイメージがそのままごつごつした表面を想起させる)。しかし、実際には、その印象を裏切る、ほぼ完全にフラットな、光沢をもったサーフェースで、このギャップが作品の骨格を形成しているように思える。イメージ(視覚的像)が、視覚におさまらず触覚などの身体感覚に訴えてきそうになる直前で、つるつるの平滑な表面がその想像的触覚を切断するわけだ。一見、工事現場の囲いに印刷された偽のレンガとか、CG素材集の岩肌画像のようなものにも見える(バックヤードの小品などは建材の見本のようだ)。だが、これらの作品はCGでも写真でもなく、やはり佐々木氏自身が描いたものだ。ご本人に伺った話では、学校の運動会のテントに使われるような合成素材のシートに絵の具を積層させ、最後にフィニッシュ(仕上げ)を行っていて、その過程はごくシステマティックに進行し、完成した像は、いわばそのシステムと素材から形成されるようだ。


佐々木氏の作品は、「描く」ことを迂回している。というか、ほとんど「描かない」ことから成り立つ。そういう意味では確かに写真的であり、絵画の偽物のようにも振る舞う。しかし、それは同時に、ぎりぎりのところで、やはり「描く」というあり方から切り離されていない。それはCGではない、あるいは写真ではない、という物理的な理由から判断されるのではない。例えばリヒターの、大型の金属板に絵の具を載せてゆく「偽の抽象画」に、佐々木氏の作品の方法主義的姿勢はかなりの程度近づいている。だが、リヒターには「描く」という行為への全面的な軽蔑がある。対して、佐々木氏の作品には、そういった軽蔑がないのだ。その差はどこに発生するのだろう。予断になるが、それはきっと「描きの遅さ」にある。あるいは生産される作品の「枚数の少なさ」にある。描くことに顧慮がないリヒターは、集中的に大量に作品を量産する。そこでは個々の作品の単独性はまったくない。ある作品Aは別の作品Bと交換可能だ。対して佐々木氏の作品には、単純に、1つの層が形成され、それが完全に乾燥してから次の層が重ねられる、という「遅延」がある。結果的に、佐々木氏は個々の作品を時間をかけて1つづつ、量産というよりは手工業的に進めていくだろう。この遅延こそ佐々木氏の「描き」になっている。この遅延に含まれてしまう反省にこそ、佐々木氏の絵画への最後の信頼が凝縮している。リヒター的ニヒリズムから見れば、この遅延はおそらく「弱さ」と映るだろう。


このScale-Outという企画には昨年、美術批評家の土屋誠一氏が協力されていたそうで、その事を知った私はこの展覧会に行くのが怖かったのだけど、誘ってもらった時に多田さんのお話からなんとなくこの日に土屋氏が会場にいないな、という事が推測されたので、少しほっとして出かけた(実際にいらっしゃらなかった)。多田さんが持続的に土屋氏とコミットされていることが、私にはほとんど信じがたい驚異に思われた。


●Scale-Out 2008