自分の目に見えている、この視界は自分の視覚なのだろうか?PUNCTUMで須田一政「NUDE」展を見た時に覚える混乱は、当然の前提である筈の「自分の目」という習慣・固定された「構え」を解除して溶かしてしまうような作品のあり方によるものだと思う。ほとんど「作品として見られる」筈のないものが、たまたま「見せられてしまった」時の、視覚の所在の曖昧化。この展覧会場にある写真作品の視線は、いったい誰のものだろう?須田氏のものなのか。それとも須田氏とモデルの女性の間の関係に属するものなのか。会場で作品を見ている私に属している筈の、私の視線の所有の所在がどんどんあやふやになる。


展示自体はオーソドックスなものだ。印画紙に焼かれたモノクロ写真が、マットを施され額装されて壁にかけられている。そこには一人の女性モデルが、裸で、あるいは部分的に下着姿で、けして顔を見せる事なく映っている。画面は暗く、いくつかの作品では不鮮明で、暗い室内で撮られた事がわかる。四つん這いになり頭を激しく振る女性や、背中や首元を大きくアップにしたものもある。股間に手を伸ばす仕草などから、ごく自然に性行為の過程で撮られたように見える。ぼけ、あるいはぶれが見られる。粒子も粗い。顔が見えないとはいえ、いわゆるトルソーとして女性の身体が見えてくる作品は少ない。


これはもうスナップですらないように見える。「スナップ」という語に付着した、安定した視線の主体が消えているように見えるのが須田氏の「NUDE」だ。言うまでもなく、プライベートな性行為を撮影した写真はいまやありふれている。しかし、そこでの像では、驚くほど見る/見られるという関係が安定していてまったく危険がない−対象と撮影者の距離が十全に確保されている(例えば盗撮画像こそその距離が最も安定している)。そして、その撮影者は、それを「見せる」過程があることを(ネットであれなんであれ)十分意識していて、だからその画像を見る者も、準備された「写真画像を見る人」という落ち着いたポジションにいることができる。ここではまなざす「私」の視覚、その所在があやふやになることはない。どのような暴露的でショッキングな内容であれ、その内容を見るという「関係」は全く安心なものだ。


だが、須田氏の「NUDE」では、そのような、見る私、という位置/視覚の所有の前提が解除されてしまう。映っている女性の裸体はほとんどショッキングなものではない。むしろ控えめと言ってもいい。だが、これらの作品が「危ない」のは、もっと関係性に根ざしたところにおいてだ。作品に見えるのはふっとぶれてしまった対象、写ってしまった細部、隠されてしまった箇所、覗いてしまった情動、といったもので、微妙に半端な構図や、ふっと収まってしまったバランスはどれも意図が薄い。意図がないのではない。どう言ったらいいのだろう、写す側の意識や、写される対象の意識が、ふっと希薄になってしまった、その谷間で撮られたような、微妙で繊細な瞬間が提示されている。この展覧会の作品に見える、独特な厳密さは、このような、写真の意識の間隙を正確に捉えているからで、そのような、撮影者とモデルの関係の谷間のように組織された明度、荒さ、ピント、構図の写真を見ることによって、鑑賞者の意識にもふと間隙がうまれ、隙ができて、「私が見ている」という、私の視覚の所在が希薄になってしまう。


須田氏の「NUDE」にあるのは公開や発表が前提されない、つまり「見せる」側と「見せられる」側、という関係がないところで撮られた作品だと思える。それはおそらく、撮影の現場でも「撮る写真家」と「撮られるモデル」という関係が希薄になった(少なくとも長い期間に訪れた、そのような希薄化の瞬間が捉えられた)写真作品の内実と呼応したもので、いわゆる展示の制度としての「見る/見られる」関係を扱ったような、現代美術の形式的な作品とはまったく性質が違う。あくまで個々のプリントの内実、そこに映った関係性によってだけそのような主題を事後的に浮かび上がらせている(だから、1点1点の写真の「質」にまったく文脈依存な弱さがない)。これらの写真が「展示」されたのは、おそらく写真史というものとごく私的な像との交点での事故のようなものだと思う。ひたすらに私的に撮られたものが、ふと「NUDE」という写真の歴史のスタンダードなテーマと交錯したとき、閉じた暗室からはじき出されるように表面化したのが今回の展示だ。ここで、何事かを脱いでNUDEになっていくのはモデルの女性だけではない。「写真家」という場所を脱いで行く須田氏であり、ヌード写真をまなざす観客という場所を脱いでゆく私(たち)だ。


須田一政 NUDE

  • PUNCTUM
  • http://www.punctum.jp/
  • 2009年4月10日(金)〜5月9日(土)
  • 13:00〜19:00(最終日も同じ)
  • 休館日:日・月・祝