TOKYO ART MUSEUMでPhilosophiae naturalis principia artificiosa -自然哲学としての芸術原理- 第4回 松浦寿夫展を最終日に見て来た。松浦氏については先のなびす画廊での個展(参照:id:eyck:20090120)で、その色彩の繊細な組織のされ方が印象的であったのと同時に、絵の具のマテリアルが正確に意識されていないのではないか、と書いたのだけど、今回の展示では意外な変化があった。絵の具が薄く溶かれ、キャンバスに染み込ませる(ステインさせる)箇所が大幅に増えた。このことにより、従来の松浦氏の作品に拭いがたくあったマチエールの不協和音のかなりの部分が解消されたように見える。


個展に引き続き、グリッドによる画面の組織化は見てとれるが、それがシステマティックな硬直化を見せずに柔らかな空間を形成しているのは、絵の具が画布へと染み込みながらキャンバスとイメージがなだらかに一体化したイメージを成しているからで、私が見た今までの松浦氏の作品でも一線を画すものになっていた。グリッドによる画面構築、ということなら先の中村一美氏の個展の作品が想起されるが(参考:id:eyck:20080710)、無理矢理力で絵の具を押さえ込もうとする中村氏より、松浦氏の作品の方が数段洗練されていたと言っていい。


考えてみれば、松浦氏の作品の魅力の核心のようなものを積極的に組み立てて行くのにステインという技法が適しているのは、事後的に考えれば当然のことだったかもしれない。松浦氏の作品では、イメージとそれを組織するオブジェクトが不用に分離されることなく(無駄に意識にのぼらされることなく)、あくまで光の波動の分岐体である色彩それ自体が抽出され、光波の多様体の織物が複雑に編み込まれ見る者の視覚を静かに、かつ過激に振動させてゆく方向性がめざされるべきで、ほとんどモーリス・ルイスとフランケンサーラーの出会いのインパクトが、今改めて出来事として発生したような、そんな印象だった。会場2Fに展示されていた、キャンバスから絵の具が明瞭に分岐・浮遊している岡崎乾二郎氏の作品とは、対照的な場所に松浦氏の作品は立ちつつある。


前回は良いと感じた、段ボールを使用した作品が今回は良く見えなかった(コートされた段ボールの表面から絵の具が分離して、アクリル樹脂の質感が色彩とまったく無関係に浮いてしまった)ことと反転して、タブローにこそ松浦氏の新しい冒険が見えていた。ただ、このステインの使用によって、作品の持つ「強さ」に関しては、はっきりと弱体化したのではないか。絵の具は染み込むことによって彩度を減衰させ、重ねられた部分では混ざってみえて鈍くなってしまう。今回の作品でも、全面がステインに覆われているのではなく、しっかり盛られた部分もあるから全てが曖昧に溶けてしまっているわけではないが(というか、このような、どこにどの程度ステインを使用し、逆に絵の具を乗せるのはどこにするか、という判断に松浦氏の試みの最もエキサイティングなところがあると思うのだが)、しかし総じて、構築されてゆく個々の色彩言語の“声の大きさ”がささやかになり、結果的にフレームが前面化してきた。


だから、描かれながらキャンバスが改めて「開かれて行った」感覚があった先の個展のときのパワーは低減している。また、今回の作品の展示空間として、TOKYO ART MUSEUMという場所はけして適切とは言えなかった。極端に細長い会場は作品からとる距離の測定を難しくする。ごく単純に、長辺に設置された大型キャンバスは、自然な導線でアクセスすると近くなりすぎる。また、この長辺壁面には下部に窓があり、その上に設置された作品は明らかに高すぎて、松浦氏の作品と正対できない。フォーマルな形式的側面よりは、あくまで色彩のコンストラクションに核を持つ松浦氏の作品で、観客との1対1の鏡像関係が成り立たない設置の「高さ」には、積極的な意義が見いだせない。率直に言えば、長辺の大型作品の展示は窓と窓の間の壁面に人の視線に正対されておかれるべきだったし、短辺(会場正面)の作品ももっと下に置かれるべきだっただろう。100号程度の、中型の作品は適切な高さに置かれていたから惜しい気がした。


もしかすると、安藤忠雄氏設計の会場の天井高に「ひっぱられた」のだろうか*1。松浦氏の絵画作品は、明らかにそれを見るものとの間に適切な「距離」を要請する。その構造は今回、よりはっきりしたと思う。そういう意味では、長年松浦氏が個展を開催しているなびす画廊は松浦氏の作品に最適なのかもしれない(京橋では相対的に広い会場で、どの壁面も十分な距離を持ってみることができ、天井は低い)。どのような絵画作品であっても、この会場は結構な難関となっていると思うのだけど、光に関しては良い効果を産んでいたと思う。冒頭で書いたように、会期は既に終了している。

*1:本来小型建築、はっきり言えば住宅作家の安藤氏の美術館作品としてはTOKYO ART MUSEUMは刺激的とはいえないものの安藤氏らしい、品の良い作品になっている