損保ジャパン東郷青児美術館で「没後80年 岸田劉生肖像画をこえて−」。東京国立近代美術館の常設で「麗子肖像」等を散発的に見ていたことはあっても、岸田劉生の作品をまとまった形で見るのは初めてになる(そういえば大原美術館でもぽつぽつとだけ見ていた)。私にとって岸田劉生は、日本近代美術の流れからズレているにも関わらず「正統的」な高い評価を得ている、という奇妙な画家だ。例えば「切通之写生」(今回は出品されていない)は確かに力のある作品であるには違いないのだけど、その力の入り方というのがちょっと前後に参照項が見つけられないもので、これが近代日本美術の代表的作品として遇されているのが不思議でしかたがない。もちろん日本の近代洋画全体が「奇形」(坂口安吾)と言ってしまえばそれまでだけど。


今回の展覧会で感じたのは、この画家が個性的なスタイルを確立して代表的な作品を制作していったのはごく短い期間に限られている、ということ。そしてその後の「展開」の可能性が豊かかといえば疑問だ、ということで、そういう意味では38歳での死は、半ば必然的な気がした。岸田の作品に現れる、デューラーファン・アイクの影響を受けた飾り文字やアーチ状の縁取りなどが、私にはあまりよく理解出来なかったのだけど、この作家はいわばある段階から徹頭徹尾「表面」の作家になっていったのだと思う。「表面」をひたすら追いかけて行く、という思考からは、例えばモデルの顔の「表面」とは、作品の絵肌の「表面」と一致するし、その延長として画面の「表面」の有り様としての装飾、というものまで地続きなのだろう。描写の対象とそれを飾る装飾=構造と表面、なのではなくて、いわば絵画構造全体の根が「表面」なのだ。


切通之写生」も地面の「表面」をとことん描いた作品で、岸田劉生においては土の踏みしめられた坂の盛り上がりも愛娘の顔の凹凸もまったく同一のものに見えている。そういう意味では、おそらく最も感性として近いのはレオナール・フジタだ。フジタが「表面」の人であって、裸婦の肌と地面の表面を同一視したりしていたことは以前書いたけれど(参考:id:eyck:20060502)、どちらもある種の工芸性の中で制作をしている。ただ、どうしてもその「表面の仕上げ」が過剰に進行してしまってある一定の枠組みに収まらず、独自の迫力というかグロテクスさに突入してしまう点が彼等の才能なのだろう。ここでの「グロテスク」とは、岸田が意図的に用いたデロリの系譜といった、美術史理解などの意識的な面のことではなくて、もっと作家の生理の部分での異常さのことで、麗子像などよりは「切通之写生」の方にずっとその異常さは出ている。「切通之写生」はフジタの「巴里城門」や「横たわる裸婦」、あるいは「アッツ島玉砕」の折り重なる兵士の遺体とパラレルで、麗子像であればむしろ表面を荒れさせたような作品にその感覚が出る。


逐次的な描写に、私は以前高橋由一との共通項があるのかな、と考えた事があったのだけど、どこか重要な点が異なっている。高橋由一にとって対象の「存在」と絵の具の「存在」は等価であり、高橋の油絵はいわば世界の相転移した「もう一つの世界」に近いとおもうのだけど(少なくともそういう捉え方のできる作品が最も面白いと思うのだけど)、岸田劉生にとって絵の具はあくまでイメージを形成するツールだろう。簡単に言えば、高橋由一に感じられる即物的な感触が岸田にはない。構造的なものがない、と言い換えてもいい。というより、延々と微分される表面の終わらない広がりこそが岸田にとっての構造で、だまし絵的な画中額の「浮かせ」や飾り文字、意識的なサイン等もこの絵画の表面構造の中で、この「表面」とはやはり視覚的であるのと同等に触覚的だ。目で対象の肌をずっと触っていくような肖像は、どこか中に空洞を持った標本のようで、古い民家の床の間にいきなりイノシシの剥製がおいてあるような生々しさがある。唯一岸田と高橋をつなぐのは「壺の上に林檎が載って在る」のような異様な作品だが、これも今回は出展されていない。


ちょっと親近感を覚えたのは、私が今までみたことのない、今イチ精度の高くない作品が結構見られたことで、考えてみれば当たり前なのだが模索途上のものや、ふとした「緩み」のようなものがない画家などそうはいない。最初に書いたように、今まで岸田劉生の作品を見る、といえば大きな美術館の常設でマスターピースばかり、という形だったので、どこかで短い生涯に最高打点ばかり出していた画家、といった先入観を持っていた。もちろん岸田劉生は短命な中で面白い作品を多く描いた画家であることに変わりはないと思うけれど、それでも相応に迷いのある軌跡を描いている人だったことは見て取れる。


●没後80年 岸田劉生肖像画をこえて−