少し前に水戸のGalerie Cielで野沢二郎展を見て来た。会場は外からも中が良く見える作りで、扉を開け、すぐ右手にある小作を見て、あれっと思い、すこし人が多いメインの会場に入って、大小さまざまな作品を見て、なんかすごいなぁ、とショックをうけた。野沢二郎という画家は、私が最初に作品を見た90年代前半から、基本的に明暗でタブローを構築してきた。それが今回、大胆に色彩が導入されている。この変化自体が驚きではあったのだけど、「ショック」という感覚はそれだけに原因があるのではないと思う。むしろ、その「ショック」の有り様においては、色彩の導入などは小さなきっかけにしかすぎないかもしれない。


今回の作品では、おおよそ暗い褐色、あるいは無彩色に近いグレーの絵の具が平滑に引き延ばされ、その所々に鮮やかな色彩がマーブル状に混在し、さらにその上から厚い絵の具が部分的に乗せられている。技術的には、つよい圧力で、画面に乗せた絵の具を削り取った(ここで引き延ばされた褐色と鮮やかな色彩のマーブルが形成される)上から、再び色彩を乗せた、というステップが想定される。何度も絵の具を盛り、引き延ばし、削り取るという繰り返しの中で、徐々に画面が構成され、いくつかの部分で乗せた絵の具が削り取られることのないまま「完成」したのが出品作だろう。「完成」と書いたが、画面のある部分は削られた状態で放置され、ある部分では乗せられたまま放置されている。いわばほとんど制作の仮の断面の提示のように見える。それは明暗ではなく、色彩を導入した作家の不可避の判断だとも言える。原理的に言って、明暗で構築された絵画は延々と手が入れられる。どんなに画面が暗くなっても、明るい絵の具を乗せればその明度は回復できる。しかし、色彩は、手を入れるほど鈍くなる。だから、それは、どこかの段階で「放置」しなければならない。


こう考えると、今回画家が色彩を導入したのは、色そのものが問題だったのではないのではないか、という推測が成り立つ。画面を「完成」させないこと。いわば永遠の「生成」の状態にとどめること。野沢二郎氏はその国内有数の「油絵の具の使い手」として、不可避的に見事に安定したタブローを形成してしまう。おそらく1990年代中頃に野沢氏はある頂点を形成しているが、驚くべきはその頂点で運動を停止させることなく、ひたすらそこから動いて行こうとトライし続けている点だ。野沢氏の、芸術家としての強度は、作品の質、その経験の質において一切上限という物をイメージしていない、ということだと思う。この作家において、絵画作品の与える質の経験、というものには決して限界がない。もっと正確に言えば「水準」という概念がない。絵画が形成しうる「質」にはどのような枠組みもなければ「一定のレベル」という判断もない。そんなレベルなど野沢氏にとっては児戯に等しいし、そもそもそういった「レベル」などという思考の限界とは無関係な場所で成りたっているのが芸術という営みなのだと考えているように見える。


ごく率直に言えば、今回展示されていた作品の全てが成功していたとは言い切れない。それは主に乗せられた色彩と作品構造の乖離に原因があると思う。絵の具を乗せる作業が、作家にとっていわば、ここから何かが始まるだろうという期待や未知の可能性への「前向き」な飛躍であり、それを削る作業が、乗せられた絵の具への否定、もっと高く飛べる筈だったのにそこまでしか飛べなかったという「逆向き」の作業だとすれば、野沢氏の今回の作品において「削られなかった」色彩は、ある種の限界の提示になっている。野沢氏の画面でもっと高く、という「期待」が予感されるのは、乗せられる直前の状態、つまり「削られた」画面においてこそで、そこで残された絵の具は、どこか「削られるのを待っている」状態になってしまう。絵の具は削られる為には乗せられなければならない。乗せる為には削られなければならない。このアポリアの中で、結果的に残された絵の具には、どうしてもある種の恣意性が残ってしまう。その恣意性が、微妙な装飾性として感受されてしまう。逆ではない。「削られた絵の具」の方が、残された絵の具よりも優位にあるのだ。沈黙の権力は発話の限界を超えている。


そこに野沢氏の、否定神学的資質を見てとるだけでは、多分間違えている。高い「質」を形成することができながらそのような「質」に固定しないこと。沈黙の(削り取る)力を十全に知りながら、そこにとどまることなく豊かに発話(色彩を乗せる)すること。この、強度の振幅、その振り幅にこそ野沢二郎という画家の凄みがある。「成功」など何ほどのものだと言うのか。強く在りながら脆く、柔らかでありながら強靭で、そこからいくらでも絵が描けて行けそうなほうど未分化で、なおかつ誰にも出来そうも無いほど自由自在に絵の具を扱ってみせる。野沢氏の絵画はずうっと生まれ続けて老化しない。むしろ成熟するにつれて生まれたての新生児に近づいていっているように思えた。