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永瀬です。何かと連絡事項だけになってしまい、申し訳在りません。頂いたメールには他にもいくつかお返事したい事があり、むしろそちらの方が私にとっては重要な内容なのだと思っているのですが、大事だからこそ文章を描くのに時間がかかりそうであり、そうすると実務的な要件へのお返事が滞ってしまいます。結果、あのような即物的なメールのやり取りだけになってしまい肝心な事には触れず時間が経過してしまう、という悪循環に陥っています。今日は思い切って、まったく実質的なお話に触れずに久しぶりに見に行った渋谷区立松濤美術館白井晟一の設計ですね。私は決して美術館建築として傑作とは言い切れないと思っていますが、酷いものが多い中、貴重な空間であるとは思っています)。での村山槐多展のことだけを書いてみようかと思います。私たちの間で村山槐多という固有名詞が問題になったことは一度もありませんし、恐らく放っておけば今後も話題にはならないでしょうが、迂回をする、ということであればこのくらい徹底していたほうが良いのではないかという予感があります。


村山槐多について積極的な興味を持っていたわけではありません。もちろん高校生の時の美術の教科書に載っていた「欅」のデッサンなどは記憶にあり(それにしても中学、高校の美術の教科書の図版というのは何か特別な刷り込みをさせられるなと思うのは私だけなのでしょうか)、東京国立近代美術館で「バラと少女」などは目にしていた。図版だけであれば「尿する裸僧」も知っていた。かといって、それ以上の知識はありませんでした。1896年9月15日に生まれ1919年2月20日に僅か22歳で死んでいたこと、詩作を良くし江戸川乱歩にも影響を与えていたこと(展覧会には乱歩が所持していた「二少年図」があります。この少年を名探偵明智小五郎を助ける少年探偵団のイメージで見る事も可能、とのキャプションはやや勇み足だと思うのですが)、文壇・画壇に知己を得ながら破滅的に生き死んだことなどは今回初めて知った事です。会場には絵画・デッサンの他10代で作った同人誌、多くの絵葉書なども置かれ、詩も壁面に掲げられ、画家としてだけではない、文学的側面にも光を当てた構成になっていました。


私は文学的なるものへのロマンティシズムは皆無で、村山の詩文には特別には惹かれませんでした。いつもの事かと思われるかも知れませんが、画家の人的側面への幻想は持ちようがない。そういう立場の人間には少々ノイズの多い展覧会でしたが、公平に見れば、村山槐多に画家としての資質、あるいは実力はあったと言うことはできたと思います。それは、例えば槐多的、と言われそうな激しい筆致の表現主義的なものでなく、適切にモチーフを見つめ描いているデッサン、あるいは「カンナと少女」のような肖像及び風景画、あるいはごく気軽に描いたと思えるスケッチ的なもの(「人物の顔と手」などはシーレのようです)を見て感じられる事です。ですから遺作展に寄せられた坂本繁二郎の文章は適切だと思います。ようするに、冷静に描かれたものが良い作品だ、というわけです。実際、上に上げた「欅」のデッサンはたしかに教科書に載るのにふさわしい、真っすぐで力のあるデッサンで、これの所蔵先が東京都現代美術館であるのは意外なのですが(竹橋にあるのが似合うでしょう)、美術館としての見識が上がるコレクションだと思えます。


面白いと思えたのがカタログなどで村山のパッションを恋愛に、しかも一方的な恋心に集約させるような記述が在る(そしてどうやら本当にはた迷惑な一種のストーカー的指向をもつ人だったらしい)にもかかわらず「冷静な」タブローはむしろそのような情熱の対象であったらしい女性の肖像の方に見られたことです(最も、彼の最初の恋の対象は少年だったようですけれども)。これまた前出の「バラと少女」「カンナと少女」は幼女を主題に、今なら社会問題になりかねないような情念を抱えてのモデル依頼だったようですが、作品それ自体は適切な構図に押えた筆致で描かれていて、確かに染料系の赤(ようはクリムソン・レーキですね)は気になるものの、むしろこの扱いの面倒な絵の具をコントロールしていると言うべきでしょう。デッサンでも「風船をつく女」などは分析的な素描をしており、「欅」と共通する縦の構造に手、足、あるいは顔-視線といった細かい横の動きを併せた意識的な構成をしています。いや、仔細に見れば服の襞を螺旋を描く様に堂々とした女性の身体に絡ませながら、むしろそのような多様な動きを導入することでより強く「垂直」なるものをフェノメナルに現出させている、という点で教科書的素朴さを持った「欅」よりも数段水準の高い作品になっていると言っていいでしょう。


しかし、やはりトータルで見れば自意識の放出が若い才能を食いつぶしているという印象で覆われた作品群です。こういう言い方は意地悪であって、もちろんそのような夭折の天才というイメージこそが村山の愛されている理由なわけですが、繰り返すならそういったロマンチックな観念こそ言葉の真の意味で反動的です。この反動からはみ出る部分を確かに村山は持っている。その「はみ出し」が「尿する裸僧」に集約している、とは言えるでしょう。この色彩の混濁した汚らしい作品はいかなる意味でも「良い絵画」ではない。また主題として涜聖的なものがインパクトを与える、という構造もありふれている。そして、そういった否定を繰り返して尚、やはり残る物がこの作品にはありそうに思えます。近代への抵抗、と言っただけでは少し簡単すぎる-例えばフーコーが「狂気の歴史」で書いたような、西欧モダニティによって引かれた「区別」する線、それを絵画の言葉で言えばフレーム、と言い換えることはけして不適切ではないとおもうのですが、いずれにせよそのような分析(村山自身にも既に深く刻まれた分/析する目)への抵抗だと言えるでしょう。そして、それは特に大正という、一種の偽制が完成しつつあった(すなわち明治という近代との摩擦が沈静化し平滑に埋め込まれ忘却されそうになっていた)社会状況への、ごく「まっすぐ」な反応であったのだろうと思います。


問題は、ですから、そのようなごく「まっすぐ」な疑義の表明を「大正ロマン」のシンボル的に受け入れ、過剰に神格化し、「天才」としてパッケージして繰り返し消費し続ける文化圏の有り様にあります。村山槐多はきっと天才ではない。早熟でカンの冴えた、自意識過剰の青年にすぎません。このような存在は当時ある程度存在したでしょうし、彼が特権的に目立ったのは実は「貧乏」という言葉に隠されてしまって見えない、圧倒的なリソースの豊かさ-名門校京都府立第一中学校で教鞭をとった父、パリに留学していた従兄の山本鼎、早い段階での援助者の出現、文壇、画壇での知人達に支えられています。言うまでもなくそのようなリソースとは無関係にいくつかの良作を残したことは評価すべきですし「尿する裸僧」が何事かを突破していることは疑い得ない。だからこそ、そのような突破口を真摯に受け止めるなら、「文学的」な受容あるいは愛好の仕方こそ回避されるべきではないでしょうか。「尿する裸僧」であるならば、例えばウォホールにピスト・ペインティングがある。これは画面に直接尿をかけた作品で、当時支配的だった抽象表現主義に対する皮肉を含んだコメンタリーであることは林道郎さんが指摘されていますが、こういった、まったく何の接点もない仕事とあえて連結させて考えてもいい筈です。


いつものことですが、またもや長文になってしまいました。言い切れないことがあるのも常ですが、今日はこのへんにしておきます。目の前のモチーフに関係ないことをだらだら書いてしまいましたが、もし「なぜ村山槐多?」とお思いならご放念ください。私自身、なぜ今この展覧会を見に行ったのか納得がいかないのです。ただ、もし理由があるなら「目の前」のことから少し外れたことをしてみたかったのかもしれない。そして、必ずしも天才とは思えない青年がしかし事実生み出した特異点を目にして、その飲込みずらさが喉にひっかかったままでしたから、まずは嚥下したかったのかもしれない。この混乱したメールが、何かしらのヒントになるようでしたら、望外の喜びです。