twitterを始めてちょっと時間がたった。


Togetterでtwitter上での議論を纏めたlogなどをたまに見ていた私は、ちょっとこんなに濃密なコミュニケーションと素早い反射神経による「対話」は無理なんじゃないかな、と臆していた。しかし、はじめてしまえばどうということはなかった。理由はごく簡単で、

  • Togetterでまとめられるような一般性のある議論など「自分のtwitterでは」起きない。


ということになる。あたりまえの話で、もちろんフォロワー数2桁とかいう平凡なtwitterでそんな事態は確率的に起きえない(理由があって誰かに議論を持ちかけるようなことがあれば別だけど)。こんな短い経験から何かを推論するのも危険なのだけど、ごく平均的な社会生活を営み、やたらとネットに接続している時間が長いわけでもなく、仕事などのからみがない人がはじめたtwitterのフォロワーが3桁に行ったら「凄い」と言っていい事態だと思う。であるならば、良くも悪くもほとんどの人のtwitterは平和なタイムラインしか形成しない筈で、「興味はあるけどちょっと勇気がない(怖い)」と思っている人はおよそ心配なく初めていいのではないか。


似たような話で、これは個々人の資質やその人の作る関係性にもよると思うが、

  • 必ずしもそんなにコミュニカティブなものでもない。


とも思う。twitterを始める前のイメージは、際限のない無方向チャット(チャット、という言葉が通じない人のほうが多いのかもしれないけれど)みたいに、のべつまくなしに誰かと「対話」してるというものだったが、上記のような「議論」でなくても、皆が皆お互いに「おはよう」とか「〜してます」みたいな挨拶の交換をしているわけではない。実感としては、ほとんどの人がほとんどの時間、対話ではなく文字通り「つぶやいている」(注記:Twitter上で指摘を受けました。Twitterは「さえずる」だそうです。恥ずかしいですが、文意は変えなくてもいいと判断しそのままにします)。要するに独り言だ。知り合いだからといって必ずそれに突っ込むわけでもリアクションするわけでもない。じゃぁそんな独り言のどこが面白いのか、といえば、他人の独り言を呆然と見ている(読む、というよりは「見る」)時間というのは、案外リラックスする、という奇妙な心理状態を作る気がする。


どういったらいいのだろう。ブラウザ上で、続々と種々雑多な人々の漏らす言葉の列が音も無く積み重なっていく様子を見ているのは、とても面白いのだ。さっき言ったように、それは多くの場合かみ合った議論や交流を形成せず、ただ降り積もる雪のように堆積しては流れて行く。今ふいに「雪のように」と書いたけれども、実際twitterのタイムラインを見ている時の感情は、窓から雪や雨が降っている街並を見ている感触に近い。


もちろん著名な方だったり、とても回転が速くてビビッドなツイートを打てたり、あるいはシリアスな問題意識を持っていらして、誠実な問いを問い続けている方だったり、という人々が形成する生産的な議論というのもあって、それはそれで有益だと思う。これは10年間それなりにネットに触れて来た自分の経験から感じるのだけど、ネットのコミュニケーションツールはやはりどんどん進歩しているし、また参加している人のリテラリシーだって洗練されてきている(よく古参ネットワーカーが嘘をつくが、かつてのネットが今より良かった、なんて事は全然ない)。そんな中でtwitterは、もちろんネガティブな事態はいくつもあるけど、相当程度「ましな」ツールではないか。レベルの高いのフラットな議論がリアルタイムで見られるのはやはりエキサイティングで、もしなんらかのひらめきさえあれば、特に肩書きや実績がなくともそこに参加できる可能性があるのはやはり魅力だろう。


その上で、しかし私のような平均的な参加者の周囲で静かに積み重なる「独り言」には、はっきりと詩的な喚起力があると思う。私が楽しみにしているのは詩人の石川和広さん(http://twitter.com/ishikawakz)、ttt_ceintureさん(http://twitter.com/ttt_ceinture)、エピゼロさん(http://twitter.com/ep_zero)といった方々のツイートで、他にもいろんな人の、生活の中にある(あるいは生活から形成される)思考の形態-それは別に知的な話ではなくても「目が覚めた」とか「暑い中仕事してる」とかいう平凡そのもののつぶやきが作るものだと思う-が、ふりそそぐ歌のように私の生活にも浸透してきている。


もちろんコミュニケーションの水準でも感謝すべき出来事はあって、offtrapさん(http://twitter.com/offtrap)には、自分の、70年代美術批評に対する花田清輝の影響力に関するツイートに「花田の影響力は50年代のはず」という適切な突っ込みを頂いた(その後のofftrapさんの50-70年代の批評史に関するツイートも非常に啓発的でした)。また、zkhiさん(http://twitter.com/zkhi)からは、80年代のセゾン美術館の建築家展の背後にある西武グループの開発事業との関わりについて教えて頂いたりした。


付け加えて言えば、おかざき乾じろさん(http://twitter.com/kenjirookazaki)のツイートは、メディアの特質を露にする「つぶやき」としてのtwitterの理想的使われ方だと思う。ほとんど「新たな詩」の水準なのではないか。あと、上山和樹さん(http://twitter.com/ueyamakzk)、鈴木志郎康さん(http://twitter.com/shirouyasu_0wl)がtwitterを初めていらしてびっくりした*1

*1:鈴木志郎康さんの情報は石川和広さんとのやりとりの中で教えて頂きました