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●●さま
永瀬です。「ゴダール ソシアリスム」見てきました。面白い、というのとは少々違う(刺激的だったし喚起的でしたけど)、結構泣けて笑える、というか、シリアスな問題が、まさにシリアスであるが故に滑稽にならざるを得ない、みたいな瞬間があってグッときました。そういう意味では、「アワー ミュージック」よりも、もっと切羽つまった印象でした。ゴダールって、わりと徹頭徹尾自分のことをなんとかするために映画を撮っている/徹頭徹尾映画のことをなんとかするために自分を撮っている、という印象なのですが、この作品にはゴダール本人が出てこない分濃厚に彼自身が感じられる。究極の“自主映画”みたいな手触りがありました。
冒頭の海の水の映像が飲み込まれそうな凄みを持っていて(この後の海の水の捉え方がいちいち恐い)、この「海」にいろんなものを重ねて見てしまう。第一部〈こんな事ども〉を通じて海は背景でありつつ重要な主題に見えたのですが、通して見終わってみると、あれはまんま世界そのものと見える。世界を一隻の船が渡っていって、その船が「ヨーロッパ」であり「映画」でありゴダール本人でもある。もちろんEurocentricであることは百も承知で(虚しく遊び暇を潰す白人たちの前で従業員として働く非白人の女性の描写とか、東洋人女性のショットとか意識的)、しかしそれが嫌味にならないのはこのヨーロッパ=映画=ゴダールがもうひたすらに弱い、というか侵食される存在だからでしょう。
何に侵食が仮託されていると感じたかといえば、雑音です。〈こんな事ども〉は音が「汚い」。あくまでかっこつきの「汚さ」ですが(●●さんもノイズの入り方について触れられていましたね)。また、ヨーロッパ、というものの境界線も危うい。ロシアとスペインという、ヨーロッパの両極の脆さ。〈こんな事ども〉でのロシア人女性のショットに入りこんだマトリョーシカには笑ってしまったのですが、第三部で映画も終わりに近づいたショットでのロシアの女の子が一目で「ロシア人」だと映されているところには驚きました。
あと、船の上部構造が画面に映るシーンで、コルビジェのサヴォア邸を思い出しました。というかコルビジェがユニテ・ダビタシオンも含め「船」にひとかたならぬ意識を持っていたわけですから当たり前は当たり前なのですが。そういえば今、氷川丸と日本郵船歴史博物館で「船→建築 ル・コルビュジエがめざしたもの」という展覧会がやっていて、偶然というにはあまりにジャストなタイミングではあります。僕はまだ見ていないのですが、充実したものかどうかはともかく、この映画との関連で時間があれば見てみたい。
ボッティチェルリ「誹謗」が映し出されたことには、個人的に少し驚くと共に妙に腑に落ちました。この絵画に関しては昔ブログに書きましたけれど(http://d.hatena.ne.jp/eyck/20060126)、「春」や「ビーナスの誕生」に比べポピュラリティという面では遥かに劣るこの絵画をなぜゴダールが取り上げたのか。僕はゴダールの絵画を見る目にはやや懐疑的だったのですが(いかにもワザとっぽく雑に撮る時があるし、作品選択も同様にどこか鼻につくことが多い)、ここでこの絵−構図が厳格に決められていながら極めて空虚な(というか空虚さこそが主題ともとれる)−を取り上げるセンスの卓抜さには考えを改めたくなりました。
ちなみに、数年前のとあるゴダールについてのセミナーで、最後の質疑応答のところで発言した僕は、そのゴダールの編集を追体験するような内容に、ふとフィレンツェで見たボッティチェルリを想起し、「誹謗」も含め口にした記憶があります。当時はそこでボッティチェルリを出すことはなんら文脈がなく、少々唐突に受け止められたと思うのですが、今となってはあながち的外れな感想でもなかったのかと思いました。
第二部〈どこへ行く、ヨーロッパ〉は「老い」が映っている一部にくらべ画面が急に瑞々しくなるわけですが、一番エロティックなシーンは子供が家事をする、少し年齢の行った母親の体を目をつぶって手でなぞるシーンかもしれません。なんでこれが記憶に残るかといったら、子供が乳房に微妙に手を伸ばさないんですね。一部の少女の胸元が強調されたシーン、またこの二部でも長女の豊かな乳房が陰影豊かに美しく撮られているのですが、まったく子供らしくないことを言う男の子が、唯一母親の腰にすっと幼く抱きつくシーンへと続くここで、この子供は母の乳房にちゃんと触らない。足から、尻から、背中から、髪の毛まで触れているにも関わらず。
適当に簡単な感想だけ書くつもりだったのに既にえらい長文になってしまったのではしょりますが、第三部の〈われら人類〉での死のシーンの短いショットのつなぎよりも、二部の母/息子の方がずっとタナトス的エロス(へんな言い方ですがそう言うしかない)を感じました。第三部はアメリカへのあてつけも含めて、ちょっと「またか」感がなくもなかったのですが、階段のシーンのつなぎとか、サッカー選手の転ぶシーンとか面白かったです。しかし、ここでの〈われら人類〉という言葉はかなり苦く感じますね。
昨年中はいろいろとお教えいただきありがとうございました。今年もよろしくお願いいたします。