『20世紀末・日本の美術 ―何が語られ、何が語られなかったのか?』

『20世紀末・日本の美術 ―何が語られ、何が語られなかったのか?』について
7月28日に、横浜美術館で開催中の奈良美智展関連トークイベント『20世紀末・日本の美術 ―何が語られ、何が語られなかったのか?』に参加してきました。このイベントは2月に行われた『20世紀末・日本の美術-それぞれの作家の視点から』の続編という位置づけでした。2月の回はアーカイブ化され、以下で閲覧できます。


今回は横浜美術館の木村絵里子さんの希望で、前回やや突っ込み不足だった1995年以降から2000年代前半にかけての国内美術状況を振り返ることで、結果的に2001年の横浜美術館での奈良美智展以降の、奈良氏の「語られなさ」の参照項としたい、という動機付けがされていました。アーカイブ化は検討中で、どうなるかは未定ですが、当日前後のtwitterのログをまとめたものをアップしています。原 花菜子さん(twitterID @arah429)の協力と再編集によって、前後の流れもわかるものになっています。



内容に関しては追ってアーカイブ化の進捗に合わせて確認して頂ければと思います。僕自身はネットを作家の活動の広報として二次的に使うのではなく、むしろ作家活動の軸に据えてきたという立場から、95年以降の美術に関する言説の変化を構造的・遡行的な視点で話してみました。中村さんのサブカルチャーのトピックの洗い出しから始まり、眞島さんが参加されたアトピックサイトの話、また木村さんからは美術館の状況などのお話も出て、全体に僕自身が大変勉強になりました。無論言い残した事、思い至らなかったことなど反省点は多々あります。このイベントの評価は追々皆様から厳しく頂けると思います。


ただ登壇者としては、殆ど自己規制なしの話ができたし、また聞く事もできたと思っています。これは今回のイベントの行われた状況を踏まえると特筆すべきかなと思います。そしてこの点に関しては、立案者の中村ケンゴさんの力が大きい。まず企画意図や経緯の説明がされたあと、本題の冒頭で中村さんは浅田彰氏による「かくも幼稚なる『現代美術』」の、2001年の横浜美術館での奈良美智展への評の最も辛辣な部分を読み上げました。単純に言って、けして大御所でもなんでもない中村さんが、自分の企画を招聘してくれた横浜美術館の中で、まさに開催中の奈良美智展の前回への(あれだけ厳しい)評を、しかも奈良展のチケットを持った人達を目の前にして声に出して読むことがどれだけのことか、了解されると思います。これでこのイベントは奈良美智展の為だけに行われるのではない、前回からの連続性を持った、より広くあるものとして意図されていることが明瞭になったわけです。


更にそこから、中村さんは僕に浅田彰さんへのコメントを述べるように促しました。僕は自分は浅田さんをリスペクトしているし影響も受けているが、少なくとも奈良さんへのコメントは「そんな言い方をしなくても」と思っていたし、そもそも浅田さんをリスペクトしているのは浅田さんが「正しい」ことばかりいう人ではなく、時にメチャクチャなことだって率直に言うからであって、その尊敬は浅田さんの言説を鵜呑みにするのではなく、自分で咀嚼して自分なりのジャッジを行うことで示しうる、といった趣旨の発言をしました。これは事前のメールのやりとりで書いていたことですが、この発言が促されたことで、いわば浅田彰氏の言説の圏域からも、このイベントは切り離されたように思います。要するに、単に自分たちが言いたい事を言う場が設定されたわけです。


中村さんがけして挑発の意図でそういった事をしたのではないことは、その淡々とした口調から明らかでした。作家が美術について思っていることを言いたいように言う。まったく当たり前のことであって自慢にも何もなりませんが、現実問題として様々な評価のせめぎ合いの場である美術館において、そういった「文脈」をカッコに入れることはけして常に行われうることではない。何もおもねることのないフレームを設定した、その姿勢がまさに中村ケンゴというアーティストの資質によっていたことは強調しておきたいと思います。僕自身の、いまや職業美術批評家が成り立たない以上、なるべく各自が作品・作家・展覧会について、誰のどのような立場や発言も気にせず率直に語ることが大事なのではないか(それ自体が現在-未来を作る)というメッセージも、中村さんの倫理的姿勢と共振しえたと思っています。


最後に、積極的な次のステップへのヒントとして1組+2作家の作品画像をプロジェクションしました。作品が単に社会の反映としてあるのではなく、むしろ社会-世界を組替える契機として現れるという視点から選んだのですが、時間の制約で僅かしか紹介できませんでした。必ずしも充分に「語られない」作家や作品、しかし十分に魅力的で面白い作品は沢山あると僕は考えています。このイベントを契機に、より闊達な「語り」が美術の世界に増えていくことを期待しています。