フェルメールには飽きた(かしら)・マウリッツハイス美術館展

改装の終わった東京都美術館マウリッツハイス美術館展。フェルメール真珠の耳飾りの少女」は以前大阪で見ているのだが、奇妙なくらい記憶から欠落している。当時の記憶に残っているのは「地理学者」の繊細さや、「リュート調弦する女」のどことなくマニエリスティックな雰囲気だ(あとは「聖プラクセディス」を見てこれは違うだろう、と思った)。むしろピーテル・デ・ホーホの奇妙な室内空間の構成などのほうがよく覚えている(こちらはけして「良い絵」ではなかったのだが)。「真珠の耳飾りの少女」は、言われてみればあったな、程度の印象しかない。今回改めて見て思ったのだが、確かにこの絵は優れた作品だとおもう。僕が面白いと思ったのは、その溶けるような絵の具(ことに青いターバンの部分)が、しかしくっきりと明快な位置(デッサン)を持って組み上げられていることだ。


フェルメールの作品については光学技術の効果がよく引き合いに出されるし、それはある程度納得がいくのだが、しかしそれだけであの感覚を説明するのは無理があるように思う。写真やカメラを使った絵画作品は今に至るまで多数作られているが、フェルメールのようなテクスチャを実現した作家はほぼいないので、やはりここには「描く」という所作に関わる独特のものがあると思う。その上でいうのだが、「真珠の耳飾りの少女」はシンプルな人物画である以上の構造的な面白さはない。だからこそアイコン的効果を持っていて「フェルメールといえばこの絵」というシンボルになり得たのだと思うけれど、今の僕には(そしてきっとかつての僕にとっても)こういったシンプルさに関心がない。「絵画芸術」や「恋文」のような迷路的な構造をもった作品のほうが面白い。僕がもう少し年をとったら「真珠の耳飾りの少女」の良さは心に染み入るのかもしれないし、あるいは十代であればまっすぐ感動したのかもしれないのだけれども。


この展覧会はけしてフェルメールだけが(初期作の「ディアナとニンフ達」も来ている)見所なのではなく、他の作品もいくつかクオリティの高いものがある。ヤーコブ・ファン・ライスダールの風景画は「帆船の浮かぶ湖」などはやや通俗的に見えるけれども「漂白場のあるハールレムの風景」は佳作だ。ルーベンスは大作の「ミハエル・オフォヴィウスの肖像」は立派であっても面白くはないのだが、下絵として出ている「聖母被昇天」がルーベンスの筆力がかえって表に出ていると思う。ヴァン・ダイクは相変わらず安定していて、特に「アンナ・ウェイクの肖像」は「真珠の耳飾りの少女」よりもずっと素晴らしいと思った。それにしてもヴァン・ダイクは外れがない。とりたてて面白いところのない作家、ただ安心して見ることができる作家というのが基本的な認識なのだけど、ここまでブレがないと逆にその機械的な正確さが気になってくる。いちどまとめてヴァン・ダイク展とかやってくれないだろうか。


同じように一度規模の大きい個展をして欲しいと思っているのがフランス・ハルスなのだが、こちらもまるで絵付け職人であるかのような乾いた、しかし恐ろしく正確なデッサンによる離散的タッチの作品を今回も見ることができる。「笑う少年」がそれだが、大作である「ヤーコブ・オリーカンの肖像」はなまじ丁寧に仕上げていて凡作になっている。今回の展覧会で実は充実した点数が見ることができるのはレンブラントで、中盤の肖像画の並びは眼をひく。一枚は質の低い工房作品だが、それ以外のものは小品の「笑う男」も含めて面白い。このコーナーの前にも2点レンブラントが出ているが、「スザンナ」は果たしてレンブラントの真筆なのかと疑う程の駄目作品だけれども「シメオンの賛歌」は素晴らしい。混雑の中で見逃さないように注意すべきだと思う。静物画に見るべきものがなかったのは残念で、スペインの影響下にあるオランダ静物画はそれなりのものになるかと思ったのだが、良いものはなかった。かろうじてだまし絵的な趣のあるカレル・ファブリティウス「ごしきひわ」は佳作だと思えた。


真珠の耳飾りの少女」を最前列で見るための誘導はひどくて、まったく作品前を素通りすることしかできない。あまりに酷い混雑なら仕方がないかもしれないが、僕が見た時は若干立ち止まる程度は許されてもいいのではないかと思える状況だった。絵画鑑賞という経験を無視してスムーズな運営が自己目的化した悪い例だと思う。柔軟な対処をしてほしい。少し離れた場所にじっくり見るエリアを作ったのは良い案で、段差を作ればモアベターかと思った(僕はそこで存分に見ることができた)。僕は前から現在の多くの展覧会が「●●美術館展」というパッケージ売りになっていることを批判する意見の妥当性を踏まえつつ、しかし国内で海外のマスターの作品を見る機会が得られるなら、むしろ積極的にこういう機会を利用すべきだという立場だ。今後日本の経済的プレゼンスが落ちてもし1ドルが300円とかになる時がきたらそもそもこういったチャンス自体がどの程度得られるか分からなくなる、という危機感も持っている。が、流石にここしばらくのフェルメール祭りは飽きがきた。これは一般の美術ファンにもきっと共通している感覚ではないだろうか。国立西洋美術館にもフェルメールが来ているが、もうしばらくしたらフェルメールの動員効果も落ちてきて、来日する機会が減るかもしれない。そう思うと、やはり今のうちに見ておくべきかとも思うのだが、どうしたものだろうか。