呼び、応える/「世界の重さ、最初の手」上田尚嗣、境澤邦泰展

呼応すること。呼び、応えること。それはけして積極的な行為としてだけあるのではない。呼ぶまいとすること、相手に自分を波及させまいとする行為が相手に「呼びかけてしまう」。そして、そのような呼びかけに対して、まるで呼びかけなど無いように振舞う、つまり、「呼びかけまいとして呼びかけてしまった」行為に対し、「呼びかけまいという意志を慮って、まるで呼びかけられていないかのように」応答する。この応答は無視ではない。気にしていないという気遣い。応えていないという応え。わずかに、体を動かす身振り。


そこには柔らかな気配が満ることになる。この「気遣い」が自意識を感じさせないとしたら、それは、その気遣いが、作家相互にではなく「作品」への気遣いであるからだろう。言うまでもなく作家はお互いがそこにいることを知っている。しかし作品は、そっと、相手の距離を測って、お互いの「間」にだけあろうとする。つまり、作品と作品の「間」をお互いがつくり合い、渡しあい、空気の通り道になるように自分の居場所を見つける。そのような慎ましい居ずまいこそが、作品それ自身の在り方を開いている。「世界の重さ、最初の手」と名付けられた展覧会の後期、上田尚嗣、境澤邦泰の二名による展覧会が実現していたのは、そんな作品存在のやりとりが開示する空間の展開の仕方だったように思う。そして、この呼-応関係は、明らかに上田尚嗣の作品、境澤邦泰の作品、それぞれの作品が持っている固有の資質にあるものと対応していたのだと思う。


上田尚嗣の作る作品は「僅かな重み」を持っている。その作品の比較的多くが中空であることはすこしだけ気にしていい。清涼飲料水の空き缶、食べ残されたパンの耳のように周囲だけ残され四角い紐状になった画布(四隅をピンで壁に固定されている)*1、画布が張られていない木枠(それ自体彩色され、四角の上辺が上に伸ばされ開いていて会場の隅に立てかけられている)、丁番で壁に右辺だけ固定され扉のように開く作品等。重厚な絵の具が乗ることなく、むしろサンドペーパーで削られたかのように「軽く」なった小さなキャンバス。これらは明らかに「軽い」し、かつそれが下、あるいは会場の低い位置に置かれたり立てかけられたりすることで「少しの重さを持っている」ことが示されている。


上田尚嗣の特徴は、イタロ・カルビーノのメモした、次の千年の為の文学の条件にどこか対応しているような感じがある。カルビーノのメモが挙げたのは
・軽さ
・速さ
・正確さ
・明確さ
・多様性
・一貫性(高橋源一郎「文学がこんなにわかっていいかしら」から孫引き)
なのだけど、無論上田の作品は文学作品ではないので、完全な対応ではない。例えば上田の作品がどの程度「速いか」は意見が分かれるだろう。また、上田の作品は「軽い」というよりは「少しだけの重さを持っている」のだと前述したが、この差異は重要だと思う。しかし、上田の作品は作家自身の感性に対する正確さ、明確さ、またそのベクトルの持つ多様性と、併せ持たれた一貫性は見て取れる。少なくとも重さは一貫して拒否している。別の場所(「闘争のエチカ」)で柄谷行人蓮實重彦が指摘していたような「小説」の条件、つまり断片的で、どこから読んでも良く、様々な方向性を持っていることなども考え合わせれば、上田の作品を形成している多くのポイントが、未来に開いたある種の“テクスト”の条件と共通のものを揃えているのではないかという予感がある。


上田の作品の「在り方」は上田にとっての「作品とは何か」という問を含んだ形となってる。先だって行われたART TRACE GALLERYでの個展でも、画布の「耳」を集積して壁にかけた作品などとあわせて、作家が着ているのであろうパーカーが会場の角に背中を向けて掛けられていた(つまり服のボリュームが中を中空にした状態で現れるようになっていた)。今回の二人展では上田が愛聴しているというジャズのレコードジャケット(これは中空ではなく中にLP盤が入っている)ふたつが組み合わされ床に立ててあったが、個展と今回の展示の双方を通して展示されたマチスの画集も含め、いわば作家それ自身を示すのではなく作家の中身を抜いた中空、環境、作家あるいは作品の「周り」への関心が上田にはあるように思う。見方を変えれば作品・作家の条件の洗い直しに近い。ここで驚くべきは上田における自身への客観視、むしろ乖離的とも言えるような自身の感覚を対象化する分析性だが、この分析が、統一的ロジックではなく、小説的、あるいは詩的離散性に基づいて行われている。散文的、という言葉の方が近いだろうか。


境澤邦泰の作品は独特な求心性を持っている。昨年の武蔵野美術大学での個展において、画家が絵画を描くのではなく、絵画が成立するためにどうやって(システムとしての)画家を要請するかを考えているといった趣旨の発言を境澤自身がしているが、境澤において絵画は強い前提としてある。世界の中に絵画があるのではない。絵画があることによって世界は開かれるのだ。例えば境澤作品において、モチーフのあり方が問題になる。簡単に記述すればまず床に置かれた白い布があり、作家はそれを見ながら、キャンバスにその「像」を描き出すように筆を置いていくが、作家の知覚に現象する像をキャンバスに移そうとする行為に原理的に含まれた矛盾・ズレがキャンバスをブレるタッチで覆い尽くしていく。これは「失敗」ではない。というよりはこの「失敗」こそが境澤の絵画の構造になっている。人の知覚と絵画イメージは絶対に一致しない、そのことによって絵画は作家を含めた観客に従属しない独立した存在になる。この言い方がもう転倒しているので、絵画があるために、その構成要因として作家の知覚と絵画の差異が要請され、その動機(モチーフ)として白い布が要請される。唯物論的、というよりは唯画論的と言うべきかもしれない。


境澤作品における「謎」は、作品がある状態に達したときおこなわれる「画面を覆う行為」にその一端がある。境澤の絵画は一定の作業手順に従って進行するが、提出されるのは必ずしも最終段階に到達したものとは限らない(画面にタッチが地を残して散っている状況のものもある)。だが、いくつかのものは、一定の段階で画面が単色の層で覆われる。下の層がある程度看取されるものから、タッチの凹凸しか残らないものまであるが、成立過程を知らない観客には、およそ単色の均一な画面にしか見えないだろう。しかし、それはやはり最初からフラットな画面を塗りこんだ画面とは異なる(上田の作品と比較せよ)。タッチの積層が下にある、その痕跡は僅かに残っていてこの封じ込められた製作過程が質となって画面を充実させている。このことは境澤の作品を初めて見る人にも(その人がある程度絵画を見ることに対して丁寧であれば、という前提は必要だろうが)把握できる筈で、この「何かよく分からない=プロセスは明示されていないが、特定の質を感じさせる」感覚が「謎」として現れる。そしてこの「謎」は、作品の成立過程を知ったところで、実は解体されない。何故、どの作品が覆われるのか(あるいは覆われないのか)、あるいは覆われる-覆われないという判断の境目はどこなのか。いかにも方法的と思える、反復作業の中で逆説的に浮上するのは描く行為、判断する行為の不透明性であり、この不透明性こそがいわば境澤の絵画を「見えなく」する。だが、見えなくする、ということはそこに見るべき(あるいは看取すべき)ものがある、という確信があるからにほかならない。


注意をしたいのだけれども、僕はここで上田の「作品の周囲への感覚」に対し境澤の「絵画中心主義」を対比したいのではない。むしろ、上田の「作品の外皮」と境澤の「作品の被覆」といった接点こそが展示においては図らずも(というべきだろう)共鳴していたように思えたし(展示初日に観客の多さが原因かと思える境澤作品の「弛み」が発生し、それが明らかに上田作品と巧まざる関係を結んでいた)、上田の作品のもつ「少し重い」感覚と、境澤作品の「かなり重い」感覚は、対立構造というよりはむしろ連続的に見えていた。そもそも重要なのは、互いに独立して追求されてきた、個々の作家の、個々の作品がある契機である場所で遭遇したとき、発生する関係に対し作家が自らの作品の声を改めて聴き、同じようにもうひとりの作家の作品の声も聴き、それぞれの発する言葉の意味を明快に理解した上で、どのようにそれぞれの作品の「存在」を認め合うかという繊細なやりとりが作品間の和音のようなものを垣間見せた、その貴重さにあるように思う。


単に二人の作家がお互いに気を配った展示をすれば成立する空間ではない。上田尚嗣が作品の、作家の周りからある感覚を掴み取り顕現してみせていることと、境澤邦泰が絵画という形式に対する揺るぎない信念から逆行して作家という自身の身体を措定していくこと、それぞれの作品のあり方が、互いの作品の「間」をつくり、みつけ、居場所を作っていった。そういう意味で、会場入って正面の壁に境澤の大作が中心性をもって展示されていたのは、いわば作品構造からいって不可避だろう。この境澤の最新作は、半ば画面が覆われ、しかし均一には塗り込められていない半-不透明な作品で、その光の反射の仕方は中央あたりで白っぽく濁りながらも下部では透明度が高く、周囲に行くほどトーンが落ちて視覚的に僅かに膨らんだ膜のような空間を形成している。そして上田の作品がこの境澤の作品の「周り」で現象している。上田の作品は境澤の作品から少し離れた場所と位相で成り立ち、境澤の作品は作品であくまで自らの自律的な構造を宣言している。しかし、そのそれぞれの自立性に対する、目立たぬ配慮の身振りが、いわゆるインスタレーションというようなものとは隔絶した精妙な作品空間という網目を組み上げていたのだと思う。


この二人の展示で形式的にはっきり見えていたのが、絵画の矩形という問題が持つ意外な複雑さだったのではないだろうか。上田はそれこそ多様なアプローチで、絵画の矩形を示していた。観客が開いても閉じてもいいと示されたマチスの画集などはその最もラジカルな提示だろうが(一度開けてみればそこには入れ子的にマチス作品のフレームが数十ページにわたって圧縮して現れる)、上へ開かれた木枠、四隅を固定された画布の縁等が、壁や床との様々な距離・厚さ/薄さといったバリエーションを持って示される。境澤の作品で壁から少し距離を作られた展示はすべて共通だが、その個々の作品の内部構造、つまりまだ描画の途中段階と思えるタッチの残ったもの、一番大きい半分覆われ半分覆われていない作品、単色で覆われた4点が、少し離され組みになっている作品などでこれまた様々な質をもった矩形を形成している。対比的に見るならばこここそが、つまり作品フレームを即物的に考える上田尚嗣、内在的に考える境澤邦泰という対応関係で把握できるだろう。展示は既に終了している。

*1:アップロード時に、ここに「木枠から外され折り目だけでふわっと壁にかけられた絵画」とありましたが、この作品は削られた木枠に、いわば歪んだ形で張られたキャンバス作品でした。上田尚嗣さんにお尋ねしてわかりました。お詫びして訂正します。