組立-転回を更新(フランシス・ベーコン展について)

組立-転回の「組立-対話」を更新しました。今回はフランシス・ベーコン展について。


ベーコンに肯定的な上田和彦さんと、否定的な永瀬による検討的な対話です。よく見られるベーコンについての絶賛或は沈黙・無視といった態度とは多少なりとも異なった姿勢を提起したいと考えています。永瀬の乱暴な意見はともかく(編集で聞き直していて落ち込みました)、上田さんの芸術というものに対するお考えがよくわかります。そこからベーコンの意外な側面が浮かび上がります。ご関心あるかたは是非。


なお、古谷利裕さんからコメンタリーを頂いています。


古谷さんご自身のベーコン展評はこちら。


今回、古谷さんのご指摘の中で一番面白かったのは

ベーコンが抽象表現主義的なカラーフィールドペインティングと違うのは、「色面」と「線」と「イメージ(人体)」という異質な三つの要素が混じり合わないままあって、それらが違う角度で、というか、違う時間軸で、ザクザクザクッと交錯しているように見えるところ。ぼくにはそれがすごく面白く感じられる。このような展開は公式の美術史的展開とはかなり違っていて、いわば斜めにズレている。そうであるから、現在でも新鮮に見える。


と書かれている15日の記事の箇所で、これは成る程と思いました。「組立-転回」の対話中、触れられずに終わって気にしていたのがベーコンの作品における複数の異なる位相の存在についてです。それが古谷さんからの指摘で喚起的に見えたなと思います。


10日付の古谷さんのベーコン評で書かれた抽象表現主義的なベーコン、というのは僕も会場で感じなかった訳ではなかったです。しかし、その視点からだけベーコンを評価してしまうとベーコンはハンパに見えてしまうとも思いました。今回、改めて古谷さんからカラーフィールドペインティングとの差異として上記の視点が提出されたことで、随分ビビッドな見え方が可能になる気がします。


以下、永瀬からの個人的応答です(古谷さんの突っ込みはおよそ永瀬の発言部分だと思われます)。
・ベーコンとジャコメッティが対照性を持ちつつ逆だ、というのはおっしゃる通りですね。ジャコメッティの難解さ(複雑さ)もしかり。故に僕はジャコメッティを評価しますが、ベーコンにも別途場のしつらえの複雑さがあるのではないかとも思います。


・また、永瀬が曖昧(いいかげん)な言い方をしていますので申し訳ないのですが、シュルレアリスムモダニズムが抑圧したものの代表として持ち出しています(ベーコンにシュルレアリスム的なものを積極的に見ているわけではない)。さらに、対話中ではジャコメッティシュルレアリスム的要素、と言ってしまっていますが、ジャコメッティバタイユあるいはドキュマンを強く参照しつつ、シュルレアリスム自体とは十分には一致しない作家だと思っています。


・「穴」に関しては確かに複数の要素を纏めてしまっていてます。具体的には
1.描いたところが弱く穴になる。 2.意図的に描いた穴。 3.影、あるいはスフィンクスの絵にあるような意図的に描いた物が結果的に穴になる。口もそうか。
「タッチのタッチの隙間」というのは1.描いたところが弱く穴になる、というところでしょうか?少しよく分かりません。「フレームとフレームとの隙間」はトリプティックの間の隙間でしょうか。これは穴とは別に話していると思うので、改めてお聞きしたい所ではあります(特にネット上でとは限らず、今度お会いした時にでも)。また、そもそも今回の対話録音とは無関係に興味深い論点だと思うので、もし「応答」というのが面倒であれば切り離して下さってもかまいません。ブランクと穴、面白い素材だと思いますので。


・樫村さんのテキストの読みの甘さはおっしゃる通りで、お恥ずかしい。反省します。


古谷さんが最初にベーコン展について「偽日記」に書かれた4月10日は偶然にも上田さんと僕が新宿で対話を録音していた日で、奇しくもこの日にベーコンに関する思考が交差した感じです(まったく関係ないところでベーコン展の担当学芸員である保坂健二朗さんと浅田彰さんがベーコンについて語られていたのも10日でした)。