組立-雑談 終わらない美術-教育

次回の「組立-転回」展を行う東京造形大学CSLABにて以下の臨時雑談イベントを企画しました。趣旨など以下の組立-転回のサイトをご覧ください。

  • 終わらない美術-教育 四谷アート・ステュディウム閉校問題を切っ掛けに


ご多忙な眞島竜男さんが、今回呼びかけに応じてくださいました。英国Goldsmiths Collegeで学ばれ、帰国後はBゼミにも参加していらっしゃる。加えて四谷で岡崎さんとセッションもされていますので、広い視点からご発言頂けるとおもいます。


たまたま、僕と上田和彦さんで進めている「組立-転回」は、自己教育としての芸術・美術ということを、今回の企画のなかで考えていました。加えて、先日CSLABで行われた林道郎さんの桑山忠明に関するレクチャーの後半で、スタッフの方のアイディアで、美術教育に関する話が出ました。そこではそれこそ雑談のようにフランクにいろいろな事が話されたのですが、今回、近畿大学の東京コミュニティカレッジとしてある四谷アート・ステュディウムが、今年度限りで閉鎖されるというニュースがありましたので、これを一つの動機にして、改めて美術教育について考えてみたい、ということです。この問題に関する詳しい事情は、存続を求める在校生の手で開設された「四谷アート・ステュディウム存続へ向けて」というサイトをご覧ください。

また、こちらは教える側、講師として携わった方々中心に、「芸術教育とは何か?」というサイトも開設されました。


直接影響を受ける在校生、スタッフ、講師がこういった声を上げるのは当然のことです。同時に、美術にかかわる多くの人が知っているように、四谷アート・ステュディウムの影響は直接在校している人や講師に限定されません。この際、四谷の外部にいる人間も、どんどんこの問題を語っていい筈です。そして言うまでもなく、美術教育を巡る困難は四谷だけに現われているわけではない。


組立-転回のサイトに掲載した言葉と重なりますが、美術教育とは作品を仲立ちに、思考回路や価値観を違える者が、元いた場所を相対化し、新たな場所へジャンプする移動装置みたいなものです。固定化されたテクニックを、習得者が一方的に未習得者へ伝授する「サービス業」だけを指すのではない−少なくともアートとはそのようなモノへの批判であった。そこでは教師-生徒とは、異なる場の両端にいる者に仮につけられたラベルでしょう。


これと響き合うように今回、「雑談」という話し方の形式を選択しました。要するに登壇者が前に座って議論をして聴衆はそれを聞いているだけ、というのではなく、とりあえずクレジットされた人の話を契機にして、集まった人がどんどん発言していくようなイメージを持っています。Ustもなければ文字お越しもしません。積極的な発言があると嬉しいです。


関心のある方は是非いらしてください。