「無表情」の可能性

終わってしまった展覧会なんですが、アートスペース羅針盤で27日まで開かれていた「異色の写真家たち展」の河原隼平氏の作品が、とてもよかったです。無菌的なまでに清潔な印象を与える明るい場所(晴天の芝生、クリーンな部屋etc)に、女性の素足が写っています。きれいに脱毛され、工業製品のような印象を与えるその足は、ふとしたはずみで「死体」のようにも見えます。しかし、他のカットでは、きちんと階段に「立って」いたりするので、その足の持ち主が、生きているのか死んでいるのか、わからなくなります(撮影された順番は、いっさいわからないように、縦に4点、横に4点程度の正方形に展示されています)。そして、しばらく見ていると、その顔のない足たちに、ふとした「おかしみ」を感じはじめます。

この人の写真は、「表情のなさ」の中に、微細な「表情」を匂いたたせるようなところがあります。老婆の手や、労働者の足のような「豊かな表情」をもったモチーフを扱わず、若い女性の手入れされた、プラスチックのような「深み」のない足という素材の、ほんの微妙な息づかいを、精緻にとらえているように思えます。「深み」のない素材といえば、この写真が印画紙に焼かれたものではなく、インクジェットプリンタから出力していることも、あえて「深み」を捨てて、「浅さ」の可能性を探っているのかもしれません。

清潔で、工業的で、表情がなく、浅いこと。これは、今の僕達が生きていく条件です。その貧しさから撤退して、印画紙の深みあるモノクロプリントや無理に探した「裏路地」の「面白さ」を追うこと。それは、もはや僕達の心を動かさない「面白さ」、「面白さの質がわかりきった面白さ」でしかありません。河原隼平氏は、そういった嘘をやめて、ただひたすら「今この場所の無表情さ」の可能性を探求しているように思えます。

河原隼平氏のwebサイト
http://www008.upp.so-net.ne.jp/kawahara/

※今週から同じアートスペース羅針盤では、河原隼平氏の個展が開かれています。
地図等の情報はこちら
http://www008.upp.so-net.ne.jp/kawahara/info2.html