「再考:近代日本の絵画」展メモ(2)

1970年代以降の「日本の現代美術」が、「日本の近代美術」に見られた恥ずかしさ=混乱を対象化していった理由を、ここで詳細に書くのは、僕の手に余る。ただ僕が思うのは、実はこの時期に「国際化」が成立したんじゃないのではないか、ということだ。むしろ「国際化」とは逆の事態、文化的な閉塞と停滞が始まったのではないか、という気がする。


世界から切り離され、歴史から切り離された環境で経済だけを肥大化させ、とにもかくにも世界2位の経済力をもった日本は、その内実においては、完全に「近代」を取り逃がしてしまった感がある。「近代」を獲得することをしなかった日本、成熟を無限に遅延させることで、洗練された未成熟に向かった日本は、近代を脱しようとしていた西欧と、奇妙な重なり合いをみせるようになった。原理性の確立を、戦争廃棄の理念の無意味化によって回避した日本は、混乱にまみれた「近代化への試行錯誤」から「解放」されたのだと思う。


無理をして「近代化」などしなくても、歴史の終焉の中でスノッブな洗練だけを重ねていけば、近代を脱しようとしている西欧と、見かけ上は「同じ土俵」に立っているかのように思える。成熟を越えて衰退してゆく「老人」と、ひたすら成熟を回避していく「幼児」が接近し、一致してゆく。そこでは、大人の、泥臭い戦いが「恥ずかしい」ものとして扱われ、隠ぺいされるか、奇妙な権威付け=棚上げがされてゆく。さらには、その試行錯誤の混乱をネタとして扱うことで、その恥ずかしさを笑いへと転換して、今の自分の立場を混乱から切り離し、安定させてゆく。日本の、「近代美術」ではなくなった「現代美術」は、一貫してそのプロセスをたどっているように、僕には思えた。


最近の日本の現代美術の「世界進出」は、けっして日本の近代化がある達成をみたわけじゃない。むしろ、近代化への戦いを諦め、挫折を隠ぺいし、そのみっともなさ=恥ずかしさを笑い飛ばすことで「洗練された幼児」に退行することを決めた日本の奇妙な前近代性が、老化したヨーロッパや、日本とヨーロッパの「間」で、やはり幼児化を進行させつつあるアメリカに「歓迎」され、もてはやされているにすぎないと思える。


東京美術学校での、ばかばかしい程実直な訓練、高橋由一の、黒田清輝の恥ずかしい苦闘、レオナール・フジタの語った真の「世界水準」、伊東深水が目指した「日本画という近代絵画」の完成、中村宏岡本太郎が暴いた日本のモダニズムの混乱。そこに見られた、痛々しいまでの「世界との衝突」は、国際化したはずの現代、どれほど見られるのだろう。それはむしろ、国際化とみまごう自閉の中で適度に面白く、表面的にクールなものではない所にあると、僕には思える。


僕は、日本の現代美術が、黒田清輝伊東深水と同じ戦いをすべきだと言いたいんじゃない。ただ、彼等を笑ったり「棚上げ」しようとするものは、その分、自分の足下に穴を掘ることになる気がする。条件は、変わっていないどころか、むしろ厳しくなっている。そういう観点に立って、彼等とは違う切り口で、事に向かい合うしかないのだと思えた。