2006-05-01から1ヶ月間の記事一覧

5/27の土曜日に、masuii R.D.Rでイタリア写真のスライドショーを行った。来て下さった皆さん、ありがとうございました。 で、こういうものはネットに置いておくものだとgoogle様がおっしゃっているらしい。本当に貴重なものは大抵ネットの外にあるけれども、…

アニメ「涼宮ハルヒの憂鬱」を見た。完結していないので暫定的なことしか書けないが、面白いのが話数順序の操作だ。簡単に言えば、このアニメは、物語りを順次理解するというプロセスが必要とされない。そういった意味では、原作を知らないと楽しめないとい…

明確な発表の予定がない状態で制作を続けている。ここ数年、僕はなんらかの形で毎年個展の計画がある中で描き続けていた。ぶっちゃけ、大学を卒業してからしばらくの間はほとんどまともな活動をしないままダラダラと過ごしてしまったので、一度発表をしたら…

三の丸尚蔵館で伊藤若冲の絵を見てきた。「花鳥-愛でる心、彩る技-若冲を中心に」と題された展覧会だ。宮内庁の持つ若冲の代表作「動植綵絵」30幅の修復が終わったのを期に、「動植綵絵」とその前後の花鳥画を5期に分けて展示するという企画の2期目にあたっ…

柄谷行人が1987年に「広告批評」の主催で行った講演が「言葉と悲劇」(講談社教養文庫)に納められている。「歴史、あるいは批評としての広告」と題された文章は比較的平易に見えるが、これを改めて読んだ。ここで柄谷氏は、 広告が届く範囲はある共同体の範…

土浦亀城という建築家を初めて知った。森美術館で行われていた東京―ベルリン/ベルリン―東京展で、土浦亀城の自邸の写真が展示されていたのだが、この一見コンクリートによるモダン建築とみえたものが木造だと書いてあって、興味を持った。webで検索すると、…

村上隆氏を今批判している声は、美術的というより社会的文脈しか見ていない。村上氏が「文脈」の人であり「情勢」の人であったことは事実だと思うが、しかし村上氏はそこから外れる部分も持っていると思う。そして、僕が思うのはこの“外れた部分”こそが村上…

日本はレオナール・フジタを何故今こんなにも屈託なく消費しているのだろう。根本的な所で違和感がある。国立近代美術館で行われている藤田嗣治展を見ている間、ずっと疑問が消えなかった。結論を言えば、フジタは生涯を通じて、重要な作品を描き続けた画家…