2006-01-01から1年間の記事一覧

サッカーワールドカップの試合を、地上波放送分だけは大体見ている。今の所、見ていて本当に興奮するような試合は見つけられない。ワールドカップにおいてはまず1次リーグを勝ち残り、決勝リーグで強豪国と1発勝負をしなければならないから、実力のあるチー…

「めぞん一刻」を久しぶりに読み返した。高橋留美子によって1980年から1987年にかけビックコミックスピリッツに連載されたマンガで、安アパートの住人の一人である学生と、そこに管理人としてやってきた未亡人との恋愛が主軸の話しだ。今でも文庫サイズで復…

新東京都庁舎と黒い「影」について。NHKの丹下健三の特集番組中で、見えたもの、抜けたもの、映ってしまったものを考えた。6/4の「新日曜美術館」での話しだ。 簡単に番組の概要を書くと、代々木体育館を簡単に紹介した後丹下の青年時代からはじまり、大東亜…

東京都美術館で開催中の「プラド美術館展」で見ることのできたスルバラン「ボデゴン」について。この作品は1992年に国立西洋美術館「スペイン・リアリズムの美展」で展示されていて、僕は再見となる。1658-1664年頃に描かれたとされている。縦46cm×横84cmの…

国立西洋美術館「ロダンとカリエール展」で見ることができたロダンの彫刻「目覚め」について。1887年頃の制作とされている。高さ52.7cmのブロンズ製とカタログにある。跪いた裸婦像で、側面が荒く上面は比較的平滑な台座にすねを接し、大腿部を浮かせて上へ…

某画家の「盗作」とかが、お昼のニュースでまで取り上げられていてびっくりした。アレは盗作などというセンセーショナルなものですらない、戦略も悪意も欠けたルーズな事件で、当然参照元の画家の権利は守られるべきだろうが、どうでもいい話ではないだろう…

“全能感”と“白痴的”について考えていた自分へのメモ。 白痴的なものは、なぜ今こんなにも強力なのだろう。テレビでもいい、書籍でもいい、webでもいい。一見、バカバカしく相手にする気にもならない個々の「白痴」は、総体として見れば圧倒的な力を誇ってい…

5/27の土曜日に、masuii R.D.Rでイタリア写真のスライドショーを行った。来て下さった皆さん、ありがとうございました。 で、こういうものはネットに置いておくものだとgoogle様がおっしゃっているらしい。本当に貴重なものは大抵ネットの外にあるけれども、…

アニメ「涼宮ハルヒの憂鬱」を見た。完結していないので暫定的なことしか書けないが、面白いのが話数順序の操作だ。簡単に言えば、このアニメは、物語りを順次理解するというプロセスが必要とされない。そういった意味では、原作を知らないと楽しめないとい…

明確な発表の予定がない状態で制作を続けている。ここ数年、僕はなんらかの形で毎年個展の計画がある中で描き続けていた。ぶっちゃけ、大学を卒業してからしばらくの間はほとんどまともな活動をしないままダラダラと過ごしてしまったので、一度発表をしたら…

三の丸尚蔵館で伊藤若冲の絵を見てきた。「花鳥-愛でる心、彩る技-若冲を中心に」と題された展覧会だ。宮内庁の持つ若冲の代表作「動植綵絵」30幅の修復が終わったのを期に、「動植綵絵」とその前後の花鳥画を5期に分けて展示するという企画の2期目にあたっ…

柄谷行人が1987年に「広告批評」の主催で行った講演が「言葉と悲劇」(講談社教養文庫)に納められている。「歴史、あるいは批評としての広告」と題された文章は比較的平易に見えるが、これを改めて読んだ。ここで柄谷氏は、 広告が届く範囲はある共同体の範…

土浦亀城という建築家を初めて知った。森美術館で行われていた東京―ベルリン/ベルリン―東京展で、土浦亀城の自邸の写真が展示されていたのだが、この一見コンクリートによるモダン建築とみえたものが木造だと書いてあって、興味を持った。webで検索すると、…

村上隆氏を今批判している声は、美術的というより社会的文脈しか見ていない。村上氏が「文脈」の人であり「情勢」の人であったことは事実だと思うが、しかし村上氏はそこから外れる部分も持っていると思う。そして、僕が思うのはこの“外れた部分”こそが村上…

日本はレオナール・フジタを何故今こんなにも屈託なく消費しているのだろう。根本的な所で違和感がある。国立近代美術館で行われている藤田嗣治展を見ている間、ずっと疑問が消えなかった。結論を言えば、フジタは生涯を通じて、重要な作品を描き続けた画家…

吉祥寺A-thingで展示されている古谷利裕氏の絵画作品は美しい。その色彩の鮮やかさは、古谷氏の作品を見た事のある人にこそ、より強く働きかけるのではないだろうか。この展覧会は古谷氏の旧作からギャラリーが選んだもので構成されているということだが、恐…

06 TDC展で見ることができた大日本タイポ組合の出品作は深い悪意に満ちている。この作品がいくつか準備されていた賞を逃している(にもかかわらず受賞作品と同じフロアに同等に置かれている)のは、いわば必然と言える。大日本タイポ組合は、この賞が判断す…

ギャラリー千空間で堀由樹子展を見た。1Fに大形の油彩画とドローイング、2Fに小品の油彩とシルクスクリーンの作品、ドローイング、M60号程度の油彩があった。堀氏の作品の特質は、油絵の具が混色されてゆっくりと積み重ねられながら、そのくすみが微妙な地点…

埼玉県立近代美術館でホルスト・ヤンセン展を見た。ここで見られるのは「線の力」というべきものだ。ヤンセンの引くたった一本の線に内在する「力」は、彼を巡って繰り広げられている瑣末なおしゃべり、すなわち生と死とか、画家の奔放な生きざまからうまれ…

平倉圭氏のゴダール論「ダイアグラム的類似」がpdf文書にて公開されている。 http://bleakg.exblog.jp/2951661/ ここに示されているのは「徹底的に作品を見る」という態度で、例えばそこに何事かの外部を導入し「読む」という行為は否定されている。平倉氏は…

この前書いた色に関してもう少し。 色というのは観念的なものではなくて、モノの一断面というか、モノの組成を「表現」している、あるいは「あらわれ」としてあるものの筈だ。例えば空が青いのは、大気中の窒素が太陽光の赤の波長を吸収し青を反射する属性を…

第一次大戦プロパガンダポスター

こらすごい。id:morohiro_s:20060405さんの所で知りました。 http://archives.iii.u-tokyo.ac.jp/ 版種の判別が大変だったとある。やったのは女子美の先生。&凸版印刷。石版はまぁ予想されたが、HBプロセスってなんだ?以下のなんか、ドラクロワの「民衆を率…

雑記。製作の話し。●今描いているのは、画布を木わくに張らずに床に広げて油彩で描く、というヤツなのだけど、これを始めたのはロールキャンバスから必要な部分を切った、残りの細長ーい余りが巻かれたまま作業部屋のすみっこに転がっていて、それを使いたく…

ギャラリー山口の地下で中津由紀展を見た。わずかに透明感を持った白い紙のようなものが幾重にも重なって、ちょうど両手の平に乗るような大きさの形態を作っている。壁に設置された、薄い棚に置かれている。多くの作品が、ほぼ対称な2点で1組みとされている…

MONT BLUEで平体文枝展を見た。40cm×40cmのスクエアのキャンバスに油絵の具で描かれた絵画が6点展示されていた。平体氏の作品に感じられるのは、もったりとした絵の具を重ねていくことで浮かび上がる色彩の、とても微妙で複雑な輝き方だ。例えば平体氏のつく…

ギャラリー山口で行われている依藤奈々展を見た。キャンバスに油彩で描かれた絵画だ。まるで画面に自動車のタイヤによるブレーキ痕が刻まれ、その集積があるイメージをふと喚起してしまうような作品だと感じた。ここに見られるのは、画布と作家の身体の間に…

建築家ユニットIKMOの自宅兼スタジオ「キチ001」のオープンハウスに行って来た。東京東部にある築34年の木造家屋を、構造だけ残してリノベーションしたものだった。詳細は以下を参照のこと。 http://www5b.biglobe.ne.jp/~ikmo/ 古い住宅密集地に立っている…

ストローブ=ユイレ「セザンヌ」。自宅で、DVDで見た。視聴環境はMacのDVDプレーヤ+19インチのパソコン用CRTモニタだ。音はMacにヘッドホンを繋げて聞いた。このような事柄を書かなければいけないのが「セザンヌ」という作品で、例えば上記のような環境だと…

「THE有頂天ホテル」は独り言の映画だ。この映画を「多数のキャストを上手くまとめている」と見る人がいたら、それは間違いだろうと思う。いかにも登場人物が複数いるように見えながら、実は最終的にたった一つの主体しか扱っていないのだから、そもそも破綻…

観光・イタリアルネサンス(30)(最終回)

●参考図書3帰国してから読んだ本。ほとんどルネサンス美術とは関係がない。今回の観光の記事を書いていて一番壁になったのは言葉の問題で、これでいいのかな、と考え考えのアップロードだった。多少は変えようと思っていたのだが、たいした変化もなかった。…